二つの春祭と音楽奉納
桜の花びらがひらりと舞い降りると
幼いころツツジの花を摘んで蜜を吸っていたことを思い出す。
なぜ?
同じようなことをするヤツがいるからだ!
茶髪でオールバック…
ヤツだ!
僅かな染井吉野の…いや、花びらが舞っても尚、桜蕊をもぎり、蜜を喰らうスズメたち
花より団子か…
フフフ…
やはり同じ匂いがするゼ!スズメのヤツゥ
…そんな生きることへの執心から一時解放される瞬間…
そう…
平成28年4月24日 泉野菅原神社春季祭では音楽の奉納が行われた。
ギタリスト垣田堂氏によるギター独奏の奉納
禁じられた遊び「愛のロマンス」をはじめ、復興支援ソング「花は咲く」など名曲を披露!
また、妖怪ウォッチのあの曲をギター用に編曲!
「ヨーでる ヨーでる ヨーでる ヨーでるようかいでるけん でられんけん」
おばさまとおっさんたちが群がる神社の境内で「ようかい体操第一」
垣田堂氏は「即興曲のような…」と語ったが、あえて「幻想即興曲」…と云いたい…
そして垣田堂氏の繊細な指がはじまりの弦をはじく…
穏やかな風と桜蕊の舞…忍び込んでくる音色に、木々たちが囁き、鳥たちが唄い、隠れ上手な神様も少し顔をのぞかせ、すべてが呼応する。
そして…思考が中和される。
往古の人々が「すべてのものに神は宿る」と云ったのはこういうことなんだ。
人と神々が一つになる。
それは
偶然の中の必然なのかもしれない。
泉野菅原神社御祭神の織田信長公も異国風の音色に興味を持ちつつも、ギターの先祖は弓とも云われていることに、さぞ驚くことだろう。
そんな余韻に浸りつつ…境内に出店している行きつけの846COFFEEさんでスペシャルティコーヒーでも…
泉野菅原神社の宮司も兼任されている石浦神社の宮司さんと寺町長久寺の住職さんのお話に割り込ませていただいたのだが…
ベビーカステラが旨いんだから仕方がない
そして次の週
平成28年5月1日~3日 石浦神社春季大祭
物事が丸くおさまりますよう、神様の御神宝をあらわした水玉模様と、神様の使いであるマスコット犬「きまちゃん」がトレードマークの金沢最古の宮
石浦神社 由緒
近年の調査により2200年前に草創され、越乃国三輪神社として下石浦村(現・長町)に社祠を建てたのが当社の由緒である。
天平年間(729~748)のこと。諸国をめぐりさまざまな寺院や道場を造営し、開眼供養(仏に魂を入れること)をしていた行基(奈良時代の高僧)が、近江国高嶋郡三尾山崎より流れた霊木から三体の観音様(長谷観音)を彫ったという。そして、第一番所として大和国長谷寺に、 第二番所として加州石浦長谷寺(当社)に、第三番所として相州鎌倉長谷寺に祀ったのである。
天正八年(1580)、佐久間盛政が一向一揆の拠点である金沢御坊を攻略した時、兵火に遭い、ことごとく焼失してしまう。ご神体と仏像を合肥していたが、本地仏十一面観音は小立野の山崎村の愛宕社に安置し、その後、卯辰山の観音院に移したのである。
慶長六年(1601)、二代藩主・前田利長公から本多町に社地六百余歩を賜った。そしてその翌年の三月二十九日、一向一揆の首領であった山本若狭守家芸が拠点としていたといわれる上石浦村(今の下本多町三番丁)の旧石浦砦跡地に社殿を再興し、ようやく石浦村に帰座したのである。
元和元年(1615)、その地が藩老本多安房守の下屋敷となった際に邸地内に編入され、寛永年間(1624~1644)には、長谷山慈光院と改め、別当社僧が奉仕していた。寛政三年(1743)の十二月には、社地百七十歩が加増され、七百七十余歩となった。
当社は金沢城地の土産神をして、また城の鎮守神として、歴代藩主の崇敬が厚かった。たとえば、二代藩主利長公は社殿を再建され、また五代藩主綱紀公の時は若君誕生に際し、安産を祈願された。ちなみにそれ以降、安産の神としても人々から厚く信仰されるようになったようだ。
また家老も同様で、藩老五万石の本多氏は、当社が元は下屋敷地内にあったため、祈祷所となした。さらに、初代本多安房守政重氏は寛永十八年(1641)に二百両を当社に寄進し、社殿の再建・造営を行うなどした。そのように格別の崇敬・報賓を受けたようだ。
元来、当社は三輪神社として大神神社の主神、大物主大神を奉斎してきたが、本地仏である十一面観音に圧倒され、慈光院(俗称ジクイン)の俗称により世人からは寺院として知られ、三輪神社の社号が忘れられるようになった。
そのため、三輪神社の社号を潜称して、式内社にしようとする神社も出現した。しかし、当社が延喜式内社三輪神社であることは、承応二年(1653)六月二十六日書写の『加賀国式内等旧社記』に、「三輪神社、式内一座石浦郷石浦村鎮座称石浦山王石浦郷七箇村惣社今属石川郡也」と、記されていることからも明らかである。
その後、明治維新の神仏分離令により、明治元年 (1868)十二月に、氏子地の石浦の郷名をとって石浦神社と改称し、明治十三年(1880)九月、下本多町から広坂通り百十二番地の現在地に移転した。
- 【御祭神】
- 大物主大神:(大国主大神)縁結び・家内安全
- 大山昨大神:(山王)厄除・八方・安産
- 菊理媛大神:仲執り・結び
- 天照皇大神:制度・法律・刑法
- 天兄屋根大神:(春日大社の一柱)知恵
- 市杵島姫大神:(厳島の神)外難防禦
- 誉田別大神:(八幡の神)
- 広坂稲荷神社御祭神
- 宇迦之御魂神:(生産の神) 蛭子神(エビス様)
- 木乃花咲耶媛:(山の神)
境内末社
金刀社・かわせ社・水社・本多社
さて先週、泉野菅原神社でお近づきになった宮司さんは、石浦神社の宮司さんでもあります。石浦神社へ遊びに行ったときはすでにお顔がピンク、やんわり漂う酒の香。あいさつもほどほどに、すぐさまビールへ。
きっと酒好きのひとなんだ…
おっとこ前は両手にビールを持ち、肴のおでんへ直行!
綿の野袴に麻の半着、そして見難いのだが紅花染めの米沢八寸帯を三寸三分(約12.5cm)の幅広に仕立て直したおっとこ前オリジナルの角帯を装着。野袴などの袴類は、通常の二寸五分~三寸くらいの角帯では目立たないんですよね。
そして画像右奥にある振る舞い酒のコーナーをロックオン。宮司さんに唯一ある麦焼酎をマックシェイクLサイズ並みにストレートで注いでもらったのだが…
酔うって!
ここへきて30分も経っていないのに…タダ酒だから気分はいいけケド…
そして神社は異なれど二週にわたって、ギタリスト垣田堂氏によるギター独奏の奉納
今回は「与作」からはじまり、カーペンターズの…なんか(笑)も演奏してくれた。それでもやっぱり
「ヨーでる ヨーでる ヨーでる ヨーでるようかいでるけん でられんけん」
「ようかい体操第一」は外せない。
二週にわたって神社で妖怪ウォッチ
シュールすぎて最高です!!
5thのCDには是非収録してほしい!
最後に垣田堂氏と射的の勝負!
名残の桜を目隠しするように若葉が薫る。
夏のあしおとは少しづつ聞こえる。
年ごとに信じられないスピードで時間は経っていく。
自然の移り変わり人々が歩み培ってきた伝統
居合と狂言もしかり
大切にせねばなるまい。
深いい~!深いい~! by おっとこまえ
Thanks!