猿に始まり狐に終わる
狂言の修業課程をたとえるに「猿に始まり、狐に終る」という言葉があります。
初舞台では靭猿」の猿役を3~4歳で披露し、「釣狐)」を20代~30代くらいで演じ初めて一人前となるという意味の言葉だそうです。
狂言の曲には「入門」「子習」「中習」「一番習」「大習」「一子相伝」とありますが「釣狐」は「大習」の類で、「花子」とともに2曲しかない大曲であり、この極めて重い習物とされる狂言の大曲を、還暦を超えた師、炭哲男が今回初めて披露します。
狂言の研究 増補第三版 古川久著 挿絵より抜粋
それは…
狂言の稽古へ赴くと誰より早く稽古場へ出でて、座布団を敷き、汗だくになりながら前宙の練習をしている師、炭哲男の姿が。
前宙とは、手をつかずに前方に向かって空中で一回転することだが、この「釣狐」での前宙は助走がなく低姿勢のままその場で一回転し座るというもので、師にお願いし試みてはみたが、とても勇気がいるし、低姿勢からなので下手をすると首を強打してしまう。
初心者には大変危険なのだ。
「あんた手をかしてくれんか??」
「無理っっす!」
下手に手を出して怪我でもされたらと脳裏を過るのは明らかで…
今では体育の教員に知り合いがいる生徒さんからの口利きで、時間が合えば前宙の指導を受けているそうだが…
今回の「釣狐」で師炭哲男がどのような前宙を見せるのか、個人的には見どころのひとつだ。
ちなみに先日テレビ番組で、にっぽんの芸能「釣狐に挑む~狂言の奥義を見つめる~」の「釣狐」を拝見したが…
普通にゴロンと前転シテイタヨ。
前宙ではなく前転でよいのでは!…などと思ったが、和泉流野村万蔵家では前宙なのだろうか…
さてさて前置きが長くなりました
平成28年度の萬狂言金沢公演は
「釣狐」を披く炭哲男の嫡男、炭光太郎による「猿聟」を皮切りに
人間国宝 野村萬とその嫡男、九世野村万蔵による「隠狸」
そして八世野村万蔵十三回忌追善「釣狐」が披かれます。
「猿に始まり、狐に終る」
今回の獣尽くしの萬狂言金沢公演にどうぞお運びください。
終演予定は18:00頃、都合により配役等変更になる場合がございます |
あらすじ
狂言 猿聟
舅猿のところへ、古野山の聟猿(シテ)が妻のほか供猿を大勢連れて聟人りにやってくる。
儀礼の盃事があり、聟が三段ノ舞を舞うと、最後に聟・舅がともに舞い、向きあって 「キヤッ、キヤッ」といって終わる。
曲趣
本来は能「嵐山」 の替間で、和泉流で本狂言としても扱うほか、大蔵流ても単独で上演することがある。登場者全員が猿の面をつけ、 「キヤッ、キヤッ」と猿言葉を話す身せせりなどの猿の動作はある程度即興に任されている。
替間とは、狂言方が能の中に登場するものを間狂言といいますが、通常とは異なる特別な演出で演じることをさす。
狂言 隠狸
太郎冠者(シテ)が内緒で狸を捕っているときいて、主人は問いただすが、太郎冠者はシラを切る。
そこで主人は、市場で狸を買ってくるよう命じる。
太郎冠者は昨日捕えた狸を市で売ろうとするが、様子をみにきた主人に見つかる。
狸を隠してとりつくろう太郎冠者たが 、主人に酒をすすめられ、興にのって舞を舞ううちに、主人に狸をとりあげられる。
曲趣
主人や太郎冠者の駆け引きやあわてて狸を隠す冠者のしぐさなどが見どころ
狸らしき、ぬいぐるみの振り回される様もおもしろい。
釣狐
猟師に一族をつぎつぎに釣り殺された古狐(シテ)が、狐釣りをやめさせようと、猟師の伯父の伯蔵主という僧に化けて意見をしにいく。猟師の家に着いた狐は、さっそく狐の執心の恐ろしさを示す殺生石の物語を語る。
猟師に狐釣りをやめることを約束させ、罠まで捨てさせて喜んで帰る狐だったが、途中で罠を見つけ、餌に引き寄せられてしまう。
我慢できなくなった狐は、仲間を釣られた敵討ちに伯蔵主の扮装を脱ぎ身軽になって餌を食べにこようといって立ち去る。
伯蔵主の態度に不審を抱いていた猟師は、捨て罠にしておいた罠の様子をみに出かける。
すると餌をあさられていたので、先刻の伯蔵主が狐だったと知る。
そこで本格的に罠を仕掛け、薮に隠れて狐を待ち受けていると、 正体をあらわした狐が戻ってくる。
狐はとうとう罠にかかるが、猟師と渡り合ううちに罠を外して逃げていく。
曲趣
前半のシテは通常の狂言とちがい、右手で杖を握って腹のあたりで固定し、両肘は腋に密着させ、両膝も合わせて腰を深く落として構える。
しかも僧衣の下には狐のぬいぐるみを着ているため動きにくい。
このような状態で飛び上がったリ、走ったり、長い物語を語ったりといった体力の限界に挑戦するような苛酷な演技を要求される。
本曲は確かに大曲ではあるが、内容的には、前半の、伯蔵主が罠に飛びつくのを逡巡するところや、後半の狐の物真似など笑いを誘う部分も多い。
昔話などには、正体かばれて退治される狐を滑稽に描いた話がよくみられるが、『釣狐』も本来は狐の失敗という民話風の枠組みのなかで、 狐の物真似芸を中心とし、滑稽に軽く演じらていたのではないかと思われる。
あらすじはすべて狂言ハンドブック 第3版より抜粋引用
【八世野村万蔵(1959ー2004年)】
野村萬の長男(本名・耕介)
祖父六世万蔵及び父に師事
一九九五年、五世万之丞を襲名し万蔵家八代目当主となる
二〇〇五年の襲名を目前に天逝
八世万蔵を追贈
古典芸能以外にも、長野パラリンピック冬季大会閉会式(一九九八年)の総合プロデュースや、NHK大河ドラマ「利家とまつ」(二〇〇二年)の芸能考証を担当するなど、総合芸術家として失われた芸能を復興し、山代大田楽もよみがえらせた。
2004年、神経内分泌がんのため死去。享年44。八世野村万蔵を襲名する目前であったが、死後に追贈された。全国各地での基調講演にて、「文化とは形を変えて心を伝えるもの」という名言を残した。