泉野菅原神社信長公祭
泉野菅原神社の社殿が横から望める小道を歩くと、再建後四年経過した今でも「スッ」と檜の香りが手招きしてくる。
平成十二年(2000年)に火災に見舞われた社殿を、十二年という短期間で再建を成し遂げた地元有志等の並々ならぬ功績と熱き想いが今でも伝わってくるようです。
平成二十四年(2012年)三月十四日には難を逃れた御神体と宝物を新社殿に戻す「泉野菅原神社遷座祭」が行われ、同月二十五日には「竣工慶賀祭」が行われました。
そして同年九月二十三日には秋季祭にあわせ明治期より行われてきた「信長公祭」も十二年ぶりに復活しました。
元和三年(1617)前田利長公の正室 永姫さまは越中新川郡新庄村に創建された浄善寺(時宗)を、利常公に頼んで金沢六斗林(現在の野町)に移転させ(現在の玉泉寺)その横に天満天神堂(泉野菅原神社)を建立し、利長公の供養と父信長公をひそかに祀っていた。
日本で最初に織田信長公を祀った神社と云われています。
今回は十二年ぶりに復活してから四度目の「信長公祭」
金木犀がほのかに香る、彼岸明け九月二十五日(日)泉野菅原神社の境内には真っ赤な彼岸花が咲いている。
泉野菅原神社目前の六斗広見街道まつりと並行して行われました。
金沢市野町にある六斗の広見では住民たちの手によるお祭りで午前中には大変な賑わいをみせ、泉野菅原神社では恒例の射的と846COFFEEさんのコーヒーで…ではなく、ラムハイボールで真昼間から呑んだくれます!
午後三時からの信長公祭では石浦神社宮司が祝詞を奏上し巫女による「浦安の舞」が奉納されました。
「日本」の別称に「うらやすのくに」心安の国の意があるが、天神地祇の安寧慰撫と国の平穏無事が「浦安」に込められているそうだ。
写真は「浦安の舞」後半の「鈴舞」だが、神楽鈴ではなく「鉾鈴」が使用され、これは三種の神器を模したものであるという。
本装束ではなけれども、ゆっくりとしたとても優雅な舞でした。
そして「加賀豊年太鼓」の奉納
画像は後片付けではなく、太鼓を担いで叩き鳴らし氏子町内を練り歩きました。桃色の服が私で、すぐ左横が宮司さん
「五穀豊穣」と書かれた筵旗(むしろばた)の反対側には「虫送」と書かれていた。
「逆さじゃねーか!!」
と後から気づくゆるさが…たまんない
でも最後はしっかりと決めてくれました!
今年に入って宮司さんには一体どれだけのお酒をご馳走になったか計り知れない。
お酒をあおり祝詞を奏上し、自ら太鼓を叩き、担ぎ、周りにお酒をご馳走してくれる笑
撮影は846COFFEEさん
私もすぐ横で太鼓叩いてました!
たのしいお祭りありがとう!
by この日の晩、べろんべろんで狂言の稽古に行けませんでした…先生すみません…おっとこまえ