釣狐と雨の神門
あと半月余りで羽ばたく年を迎えようとしている、呑み会メジロ押しの師走半ば
来年2月12日に予定されている狂言素人の会のためは霰飛び交う、この年末の自主稽古はとても重要なのです。
いつもは居合の稽古に利用している野々市武道館でもこの時期は狂言に集中する。
そして素人がゆえにいつも思う…
全身に意識をめぐらし「立つ」という動作に加え、腹から「発声」することの難しさと苦しさ…そして「歩く」「謡う」などの動作が加わるともう…集中力の維持がとても困難になる。
先述の狂言素人の会のため「棒縛」を稽古しているが、約30分くらいだろうか…
もう、くたくたになる。
「棒縛」には四曲の謡が出てくるが、長短あれど最後の四曲目は、もう声が前に出ない。
もともと出てないんだけどね(笑)
さて、去る平成28年度11月20日、石川県立能楽堂にて萬狂言金沢公演を開催
能楽師和泉流狂言方として芸歴四十年を迎え、また還暦を超えた師炭哲男の「釣狐」が披かれました。
詳細は新聞記事の通りですが
芸歴四十年とはいえ還暦を超えた身体で1時間を超える大曲を着ぐるみ姿のまま演じ続けるのは至難の業で、この日の為に禁煙し、お酒も付き合い程度で少量に抑え、「棒縛」の稽古に行くと、必ずコツコツと「釣狐」の稽古をされていた姿を目の当たりにしていただけに、最後まで無事に演じきれるだろうかハラハラしていたが…
そのハラハラも猟師が仕掛けた罠から逃げ出し去ってゆく最後のシーンで会場からどよめきと共に万雷の拍手が起ったことでそれは安堵へと変わっていきました。
さて去る11月27日
尾山神社の神門で居合演武の奉納が行われるちょうど4日前
北國新聞で「いしかわ文学紀行 三島由紀夫「美しい星」(2) 金沢市 円盤と交信する灯台 尾山神社は「異質」な存在」という記事が掲載されていた。
今から141年前、明治8年11月25日に落成した尾山神社神門は文明開化という追い風を受けながらも、当時の市民からは「醜形門」と呼ばれ、建て替え論さえ出ていたという。
しかし昭和30年代になると三島由紀夫は「美しい星」のなかで『この神門は「円盤と交信」をするための、「五彩にきらめく灯台」に見えた。』と表現している。
金沢での創作ノートに神門の詳細なスケッチまで残していた三島由紀夫は武道も嗜み、居合もやっていたというが、興味のある方は”YouTube”で『三島由紀夫 居合』で検索!ジャジーな荒城の月をBGMに腕前が見れます。
あいにくの雨でしたが、様々な想いをめぐらしてきた数多人の仰ぎ見し神門の真下で十二回目の居合演武奉納が行われました。
右手を負傷し本調子ではなかったであろう師北島國紘と、その目をしっかり見つめるちっちゃい眼。それぞれの想いを天に納めることができたであろうか。
狂言『釣狐』、そして雨の中、尾山神社での居合奉納にお運びくださいました皆様、真に有難う御座います。
そして今回ご都合の合わなかった皆様も、機会がございましたら是非一度ご高覧頂ければ幸いに存じます。
by 四年連続新聞掲載にしたり顔の”おっとこ前”