ねこの神様
平成29年も残りわずか
来年は戌年ということで犬ブーム再来か!の前に猫ブーム年末年始大あがきスペシャル!笑
犬のいない島へ行かにゃー!
さてさて…
去る5月29日、十和田から岩手山を横目に一気に南下、石巻へ。今回石巻へ向かうのには訳があった。
仕事帰りによく行っていた喫茶店に、店主の昔の仕事仲間がやってきた。
私とは初対面だが、うだうだ語り合ううちにやんわり意気投合し、また呑みましょね。といって別れた彼の移住先が、宮城県石巻市の沖合いの島、網地島だった。
機会があったら一度訪れたいと願っていた矢先の東北旅だったので、迷わず予定に組み込むことにしたが…石巻に着くまで数年前の大震災が記憶から遠ざかっていた。
網地島へは石巻港旧北上川河口にある「網地島ライン」から小型船で渡航できる。門脇地区と湊地区を結ぶ避難道路として鎮守大橋(仮称)が建設されているが、その門脇側にある、田代島・網地島・鮎川(牡鹿半島)を結ぶ海運会社だ。
その門脇地区も震災の被害が甚大で、未だに瓦礫が多く復旧されていない所が多く残されている。
そんな瓦礫の地に程近くの丘陵地にある日和山公園に鎮座する鹿島御児神社の鳥居を見上げ、そのときふと気付いた…。
そうだった…網地島へ移住した友人を訪ねることだけを考えていたが、2011年3月の東日本大震災で甚大な被害を出した、まさにその場所に立っているのだ。
日和山公園は、石巻が一望でき風光明媚で市民の憩の場になっているが、私が初めてみた日和山公園からの景色は一面海水で覆われていた。
当時の衝撃的な映像が脳裏を掻き乱す。
始発の便までまだ時間があり、その間に日和山公園へ行こうと考えていたが、沢山の人々が津波にのみ込まれた場所を見下ろすことがどうしてもできなくなった。
今いる場所から日和山公園まで徒歩10分くらいだろうか…地震直後に…と考えると近いんだけど遠い。
恐山で人の生死を想い、石巻でも人の生死に想いを馳せることになるとは思ってもいなかった。
生死の間を生きるのが人間か。
さて
石巻市にある有人島のひとつ網地島。そして田代島と金華山の3島が牡鹿半島を囲んでいる。
網地島ラインから網地島へ向かう便は田代島を経由するので、午前中は田代島。午後から網地島の友人を訪ねることにしたが、田代島北東部の大泊港は災害復旧工事で寄港できない為、南東部の仁斗田港へ向かうことにした。
朝9時、石巻発のブルーライナーで小一時間…揺れる…。
揺れる!
そーとー揺れる!!
ひーー!!
田代島はこんなところー
網地島ラインで入手した散策マップには「招運 猫神社」とありますが、まずは地図の右下に小さく載っている「稲荷神社」に向かわねばなるまい。
仁斗田港に着いてすぐ
ねこ
ここにもねこー
あっちにもねこーー
く…くまも…ん??
仁斗田港に降り立つと「船着場待合所」に「ねこごはんあずかりボ ックス」が設置されている。
ちなみに「かきにゃー」とは猫と牡蠣が合体したオリジナルキャラで、後に訪れる「島の駅」にグッズが販売されている。
← 多い ネコ 少ない →
ねこの多い方は仁斗田地区、少ない方は大泊地区を示す看板。猫神社や島の駅に向かうなら迷わずねこの多い方を選択しよう!
仁斗田港から波の音と鶯などの鳥の声くらいしか聞こえない集落を5分ほど歩くと稲荷神社がある。
画像下の古い鳥居は旧神社跡地で現在はこの上にある。
稲荷神社 由緒(案内板より引用)
嘉承元年(1106年)京都からの落人 平塚掃部之介公が京都伏見稲荷から分掌して奉ったのが始まり、後に部落の鎮守社となる。明治42年の大火で焼失 現在地に移転。道路下の古社の地にあった。
さて、猫神社に向かう途中にある島で唯一のスーパー「阿部ツ商店」も6月末で閉店だそうだ。私が行ったときは不定期営業だったそうだが、今ではねこたちのひな壇になっている。
ねこたちがこっちに向かってくるのは、餌を与えたわけではなくて、荷物の整理にリュックをガサゴソしていたら、餌かと思ったのか、わらわらやってきた。私は路上で餌を与えないと決めている。残念だったな。ねこ
田代島は猫の聖地とも云われ、猫が祀られている猫神社がある。元々養蚕業が盛んであったために、当然ながら猫は大切にされたが、豊漁の神として祀られた訳が猫神社の由緒にあった。
美與利大明神
猫神様島では昔から、猫は、大漁を招く縁起の良い生き物として親しまれ島民により奉られている。
明治の末から大正時代にかけて、島では大謀網漁が盛んに行われていた。
例年、春の訪れと共に大謀網漁の施設基礎工事作業が始まり、島中に活気が戻ってきます。浜いっぱいに所せましと網が広げられ、その上をせわしく浮きをつくる人、いかりを設置する人等、わずかな時間を惜しみ働いている。そんな網子(大謀網で働いている人)達の心を和ませてくれるひとつに、春の陽射しに誘われ、三々五々集まり寄ってくる人懐っこい島の猫達との出会いがある。
ある日、いつものように集まり寄っていたところに、いかりを作るため砕石をしていた時、その石片が飛び散り、猫を直撃し瀕死の重傷を負わせるというじこがあった。
古くより島では、“漁をまねく”、“大漁をまねく”と言って、誰もが猫を大事にしていたことから、当時、大謀(総監督)の任にありました、現八與丸船主家では、大変心を痛め、今後の猫の安全と大漁を祈願して、石造の小祠を安置し、猫を祀猫神様として信仰を深めていった。
阿部家は代々神主を務め、現在でも毎年3月15日が祭日で、幟を立て、供物の、「鮪」を供え、お神酒を献上、参詣をしております。また、島内の漁師の人達も初漁には供物「鮪」を供え、参詣をしていきます。おわり
猫神社境内案内より引用
さてさて、稲荷神社と猫神社にお参りした後は、猫神社に向かう途中にあった「島の駅」に寄ろうと思う。マップでは仁戸田港と猫神社の真中付近にある「自然教育センター」が現在の「島の駅」で田代島の小中学校の跡地でグラウンドはヘリポートになっている。
「島の駅」の看板に「にゃんこ共和国」とある。「島の駅」は、田代島の宝である猫を通じて田代島の災害復興、観光促進事業を行い、猫による田代島の更なる島興しに寄与することを目的として設立された「社団法人 田代島にゃんこ共和国」が運営している。
オリジナルグッズ(さっきの“かきにゃー”とか)や猫をテーマにしたグッズ、島でとれた海産物が販売され、飲み物や簡単な食事もできる。
「ビールとかつ丼!」と注文
「ビールとかつ丼ですくぁああ!!!」
って驚かれたことに驚いた笑
柿の種の小皿もしっかりねこ
ここの店主はとても気さくな方で、たまたま観光客も少ないので、いろいろなお話を聞かせてくれた。
最近、田代島にいる猫の調査団がやってきて個体数を調べたそうだ。真黒な猫など判別しにくいものも含めて、およそ190匹くらいかなあと言っていた。
カラスに狙われる猫
子猫や弱った猫の上空を旋回しているカラスは、ここぞとばかりに急降下しては、上空まで猫を連れ去り、地べたに叩きつける。そして餌食にするという。
車にも狙われる猫
島の住民は自動車を運転する際、猫に遭遇したら徐行もしくは停止して、猫が道をあけるまで待つらしいが、災害復旧工事で島に居住している人たちは、自動車が来たら猫が退くだろうと思い、スピードを弱めないらしい。島の道路はとても狭くて自動車が1台通れるくらい。実際歩いてみても、スピードを弱めずに走り去る自動車もあった。路上で猫と戯れたり撮影はとても危ない。
帰りに気になっていたところに
仁戸田港から集落を進むと、あっち、こっちの看板が
最初に行った稲荷神社の近くに「田代の小さな歴史館」「クロネコ堂」がある。ふたつとも同じ建物内にあるので気にはなっていたが、帰りに寄ることにした。
中に入ると田代島の歴史を当時の写真を通して知ることができ、その奥にはグッズの販売もしており、100円でインスタントコーヒーも飲める。
田代島に移住して間もない若い店主だが、とても気さくにお話し相手になってくれる。ただ、お酒があればもはや何もいうことはない笑
震災が起きる前の港の桟橋はとても低くて満潮になると歩けるか歩けないかくらいに海水を被ってしまい、そこへ小魚が打ち上げられるのを知っている猫たちは一斉に桟橋へ突撃し、小魚を捕獲し、戻ろうとすると波にさらわれ海中へ引きずり込まれるが、次の波に打ち上げられて無事生還。という風景が災害復旧工事で桟橋が高くなって以来見られなくなったという。
そしてこれより網地島ライン唯一のカーフェリー“マーメイド”で網地島へ向かうが、続きはまた来年!
拙いブログとはいえなんとか四年目を迎えようとしています。出きる限りジワジワ、やんわり、テキトーに続けていければと思います。
どうぞ皆さま良いお年をお迎えくださいませ。
by おっとこまえ