投稿日:2017年12月9日

心の拠り所

東北の旅も後半

恐山以来滞っていた記事もやんわり更新していきたく

下北半島から南下

青森県と秋田県の県境にある十和田湖から唯一流れ出でる奥入瀬おいらせ川は太平洋に注ぐ二級河川。だがその上流部約14kmには国の特別名勝及び天然記念物に指定されている奥入瀬渓流があり、その渓流沿いには多くの滝の景勝地が存在している。

「風の谷のナ○シカ」を思わせるような絶景の瀑布群を横目に十和田湖まで車で30分くらいの道程を進むにつれ、じわりじわりと…聞き覚えのある鳴き声に頭がくらくらしてくる。

そして…十和田湖の宿泊施設や食事処、お土産売り場が集まるエリアの休屋やすみや地区に降り立ったとき、恐山でいやほど聞かされた「ハルゼミ」の鳴き声は絶頂を迎える。そう…十和田湖もハルゼミの生息地なのだ。

それに加えて毛髪があっち向く強風!

ここもなのか!十和田湖!

ひとまず近くの土産物店にはいり、気を整える。

店主:「ただもんでねえおぐしと、ただもんでねえ様相で、ただもんでねえレンズもって、どっから来たんだあ?」

わい:「いしかわデス!」

因みにレンズとはキャノンの白レンズのことなのだが、私に何らかの興味を持ってくださるのは有難いが、軽い質問攻めに気が休まらない。

店主:「お仕事はなんですかあ?」

店主:「おいくつですかあ?」

わい:「…」

話を変えてみる。

わい:「これ何の鳴き声?」

店主:「ん??」

わい:「この集団で鳴いてるのなに?」

店主:「んん??」

わい:「蝉みたいなのなに?」

店主:「あー!せみ!これハルゼミ」

どうやら地元の人たちはハルゼミの鳴き声は生活の一部になっていて、まったく気にも止めていないようだ。

そして強風もいつものことのよう。

一般社団法人 十和田湖国立公園協会 休屋周辺マップ

「休屋ガイドマップ」「十和田湖畔地区ガイドマップ」がPDFでダウンロードできます。

十和田神社の狛犬

さて、土産物店を出るとすぐ目前に十和田神社境内への入り口がある。

マグマ大使に出てくる「ゴア」みたいな狛犬と、まんが日本昔ばなし「こぶとり爺さん」に出てくる赤鬼のような狛犬が出迎えてくれた。疑いもない、ここは神域だ。

にわかに湿気混じりの空気に匂いが漂う、わずかに陽が閉ざされ、杉の大木が屹立しシダ類が生い茂る参道を進み、つきあたりの手水舎で手口を清め、右を見上げると、柔らかな陽射しが舞い降りた拝殿が「石段を登っておいで」と誘ってくる。

上を向き、陽に向かって行く…という感じがなんか…いい。

十和田神社 拝殿

十和田神社 拝殿の彫刻と狛犬

十和田湖は世界最大の二重カルデラ湖と云われている。最初の噴火で形成されたカルデラ湖付近で2度めの噴火が起き、そこへ最初のカルデラ湖水が流入し、2つの半島が形成された。地図に向かって左側にある中山半島の左側が「西湖」、右側にある御倉半島の右側が「東湖」、2つめのカルデラ湖となった中央が「中湖」と呼ばれ、「中湖」の最大水深は326.8メートルにもなり、東京タワーのテッペンのアンテナ部分を残してすっぽり収まる。そして十和田神社は「西湖」と「中湖」に挟まれた中山崎の付け根・休屋の奥に鎮座します。

十和田湖マップ

こころのよりどころ

十和田へ向かうまではアイヌに興味を抱いていた。現在ではキリストがどうのという話もあるらしいが、間違いなく十和田湖は、かつて修験宗徒・山伏の修行場であり、江戸期には熊野権現・青竜権現として恐山と共に南部藩の二大霊場とされていたこと。

十和田湖(西湖)十和田の地形が織り成す自然のただならぬ気配と異様な雰囲気が神々しさを産み出しているのであろう。実際に神が宿るとかどうとかよりも、何に畏敬の念を抱き、心の拠り所にするかは各々の問題であり、また、そこで何を見て何を感じるのかも各々なのだ。世俗から奥入瀬のただならぬ雰囲気に不安を感じながらも、湖に到達して見る圧倒的な自然は、各々がなにかを感じた時点で神になるのか。

人様のお言葉で判断する問題ではないと強く強く思う。


「住まば日本ひのもと 遊ばば十和田 歩きゃ奥入瀬 三里半」 大町桂月

「住まば金沢 遊ばば酒場 歩きゃジグザグ 三十分」by おっとこまえ

以下、十和田神社参拝のしおりより抜粋引用した由緒を記しておきます。ご興味ございます方はどぞー!

十和田神社 御朱印

〇十和田神社 (青森県十和田湖畔休屋十六番地)

祭神 日本武尊 祭典 (毎年旧五月十四・十五日)

社伝によると、大同二年(八〇七)の春、征夷大将軍坂上田村磨がここに一社を建て、武神の租とも仰がれた。日本武尊を祭神としていつき祀ったということです。後、年久しく荒廃したのを建武元年(一三三三)北畠顕家奥州(下向に際し、これに随って下った甲州)南部氏が、甲斐の国から白鳥の宮の祭神、日本武尊の神霊をうつしまつり、今日の基となったと語り伝えておりますが古くは熊野権現、十二社、青龍権現で知られ霊験あらたかな神として今日もあがめられている。本来は山伏の修験道場であり、東北三大霊場のーつであった。休屋は、これら修験者達の「龍り屋」があったところで、明治になってから「休屋」と云うようになったのだが、今日十和田湖を遊覧する人々の休憩所としてもふさわしい名であろう。

〇参拝道

休屋の繁華街から社務所の傍にあるーの鳥居にさしかかると、森閑とした大気がとりまくのを感じられます。そこに十和田神社の社標石、故米内光政氏の筆(旧盛岡藩士)この神社は元南部一の宮として歴代藩主の崇敬厚く、祭典にはいつも必ず重臣や代官を遺わして参拝させたもの。参道は桧・杉その他千年の巨木が左右から蔽って、木の香、花の匂、草のいぶきが漂い、路上にわだかまる樹根の背をふんで進むと、二の鳥居、やがて大自然の岩が根を階段にした坂を登って本殿へ達するのであります。ここは、湖面に突出する二つの半島のうち中山半島の根に当る所なのです。

〇祭典

十和田神社の祭礼は、毎年旧暦の五月十五日。ちょうど樹々の若葉のもえて美しく、ベニヤマザクラの艶やかな花のよそおいが点々とつづる時節とて、青森・岩手・秋田の三県はもとより北海道をはじめ遠国から参拝の人々が群集して湖水の波のようにゆれ動き、それに神楽・獅子舞・駒おどりなどの郷土芸能が奉納演奏せられ、 一段の賑わいを添えるのです。

〇御占場

神社の背後の岩石の山道をすこし登ったところに、大きく長い鉄のはしごが見えます。 これにすがって下ると御占場へ出ます。この御占場こそ湖中第一の霊地であり此所あってこそ古く一千年の昔から道中の難儀をもいとわず十和田もうでを志したのであります。巨厳をふんで七十九段の大鉄梯を下る時、 一心不乱の心境になるのに、御占場の岩に件んで、「中の湖」の水を見ると、その碧玉・瑠璃・紫石をとかしてもみ重ねた深い色、あまりの美しさに、そぞろ身の毛のよだつのをおぼえます。ここで手にした浄財と洗米とを白紙にひねったのや、神社で頒布する「おより」を、水に投じます。 「おより」は宮司が祭礼の節神前に供えて祈念をこらした白紙を細く截ってこよりとした特別の手工なのです。さてその投じたものの水に浮沈する姿によって、年の豊凶・人の吉凶・事業・婚姻・旅行・財政と一切のことを占トするのです。その判断する方法は「おより」を手にする際、分明するようにしたのがあります。投ずるものをさんぐ(散供。これを訛ってさんご)といいますので、御占場を別に 「おさんぐ場」と申します。ここから眺める御倉半島の風景は、口にも筆にも現わしがたい雄大なものであります。あらゆる形容詞を用いても、この天然の趣のよさを表現することはできますまい。

十和田神社参拝のしおりより抜粋引用

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