投稿日:2018年11月11日

鬼鉄と画鬼

 幕末から明治の同じ時代を生きた二人の「鬼」がいた。 平成29年(2017年)夏に石川県立美術館で河鍋暁斎展があり、能楽画の中でも狂言画が多いということで、これは観ないわけにいかなかった。勝手な思いではあるが、そこで観た暁斎の画は生物、空想、躍動、であって、しかも狂言は自身でも嗜むほど好きであったという。

 そして暁斎の絵師としての才能に興味は有りつつも、その絵画に添えられた「画讃」の多くが山岡鉄舟の筆であるとは今までは知りもしなかった、というか、そもそも読めないので画しか観ていなかった。

 鉄舟と暁斎の功績について今更説明するまでもないが、ともに天保年間に生を受け、ともに五十代(明治二十年代)にその生命を全うした。ともに胃癌であった。そしてともに「鬼」と云われた。相違点があるとすれば「武士と絵師」であろうが、二人を結び付けたものは「書」であったに違いない。

 それは二人が生きた時代に「書画会」があった。現代でいうところの、美術館やギャラリーを使い、書や絵画の展示即売会(実演付)のようなもので、暁斎の主催する書画会には鉄舟もよく参加していたという。特に暁斎の書画会は人気があり、人々の目前で暁斎がするすると筆を走らせ完成してゆく絵にワクワクしたという。そこに鉄舟がさらさらと筆を走らせ讃を記すのだ。これはファンにはたまらないイベントであったであろうと思う。

 そんな「鬼鉄」と呼ばれた鉄舟と「画鬼」と呼ばれた暁斎の書画が口能登羽咋に残され、しかも暁斎による実在の人物画が残っているとは思いもしなかった。

 能登立国千三百年記念に併せて羽咋市の永光寺ようこうじで「山岡鉄舟書」が公開された。

永光寺 山門

 明治に入ってからの永光寺は多額の借財により荒廃していたという。そして明治19年に弧峯白巌住職が鉄舟に揮毫を依頼し一万点ほどの書を寄進され、それを再建費用にあてることによって復興を遂げたと云われている。一万点はどうかと思うが、それほど多くの書を寄進され永光寺にとっては大恩人であり感謝の表れであろうと思う。そして鉄舟は二年後の明治21年に亡くなっていることを思うと、大変な作業であったはずだ。

永光寺 山岡鉄舟書 清風明月右から「清風明月」

永光寺 山岡鉄舟書 柳緑華紅右から「柳緑華紅」

永光寺 山岡鉄舟書 「金毛」「獅子」「威奮」「出塵」右から「金毛」「獅子」「威奮」「出塵」

 「金毛 獅子 威奮 出塵」と説明書きにあるがこれは「金毛 獅子 奮威 出窟」ではないかと思われる。

 「金毛」とは厳しい修行を終え道力を得た禅者のことで、「出塵」とは出家のことと思われる。出家したはずの禅者が、威を奮い出家するとは妙な解釈だと思う。「出窟」であれば修行を終えた者が世間に出てその力を発揮するという意味にとれ腑に落ちるのだ。「金毛の獅子、威を奮って窟を出づ」であろう。

そう考えてしまうと、鉄舟書のくずし字体が「窟」にしか見えなくなってしまう。


紙本淡彩河鍋曉斎筆山岡鉄舟像
羽咋市指定文化財 絵画 指定:昭和38年10月16日

 そして、鉄舟の襖書を観るまではまったく知りもしなかったのが、暁斎の画だった。実は暁斎も鉄舟とともに二十七点を寄進している。羽咋市の有形文化財に指定されている「紙本淡彩河鍋暁斎筆 山岡鉄舟像」は鉄舟襖書と共にに展示され、五十歳前後であろう鉄舟の肖像画とその上部に鉄舟自身による讃が記されといる。達筆で読めないのがとても残念であるが、暁斎の画はあと二点残されていると云われている。「達磨図」「何蠡舟かれいしゅう像(何 礼之が のりゆきのことだろうか)」の二点はあいにくその場では確認できなかった。(現存しているかも不明)

永光寺 山門

洞谷山とうこくざん 永光寺ようこうじ(曹洞宗)
御本尊:釈迦如来
〒929-1574
石川県羽咋市酒井町イ11
0767-26-0156

永光寺 本殿

日本曹洞禅源流の古刹>

 永光寺は、正和元年(1312年)中河の地頭、酒匂頼親さかわよりちかの嫡女祖忍尼そにんにの援助を得て 螢山紹瑾けいざんじょうきんによリ開創されました。又、高祖天童如浄の語録などが埋納される五老峰や伝燈院は、曹洞正伝の源流を示す証といわれています。 中世以来、後醍醐天皇をはじめ四帝の勅願寺となリ、足利直義が利生塔を寄進するなど出世道場として栄えたが、応仁・天正の兵火によリ全焼し、寛永と明治期の修築で禅宗寺院の原型とされる永光寺様式伽藍が復元されました。

石川県指定史跡 永光寺 羽咋市教育委員会 案内板より引用

永光寺 十六羅漢像

大阿羅漢難提多所説

仏勅を受けて永くこの世に住し衆生を済度する役割をもった十六人の阿羅漢といわれる。

鉄舟は剣や書だけでなく禅にも造詣が深く、暁斎もまた絵師の傍ら狂言の免状も授かり舞台にも立っていたという。 生涯ひとつの事に邁進するも人生なれば、数寄や道楽もまた人生。しかし前者が後者をうらやみやっかむのは何故なのか…と思う私は後者の部類だからであろうか。

「道を解して自ら楽しむ」

鉄舟と暁斎の書画を観て改めて多趣味を肯定する考えに迷いがないことを痛感した、、が、もっぱら酒道楽。

いろんなことを楽しんだ者勝ち by おっとこまえ

永光寺 御朱印

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