追憶の窓
12月になると何かと気忙しくなる、と云う人もいるが、はたして年末だけだろうか。パソコンやスマホなどIT端末を使用したコミュニケーションの変化と個人趣味がネット上にまで拡大している現代人にとって、年末に限らず日々何かとやる事が多い。
そしてそれは場所を厭わなくなってきた。バス停や飲食店などで並ぶ人たちのほとんどは下を向いてスマホなど見つめている。澄んだ空気で山々が綺麗に見えても、大きな満月が人々を照らしていても、ほとんどが気づかず下を向いている。そしてそれらの情報をネットワークで知り得ると、はっと気づいたかのように上を眺め、すぐに撮影しすぐネットワークに戻る。撮影した画像は端末内に埋もれてしまい再び見ることはなく記憶からも遠ざかるが、ネットワークに拡散した情報に対してよい反応があればそれでご満悦なのだ。俺もだった笑
地球上に生きているというより情報ネットワークの中に生きているような現代人。
特に無くてもいいことなのに、自分の中の何かのために何かを得ようとする行為が増えて、毎日が何かと気忙しい。子供たちまでもが忙しいと口にする始末だ。
こうして年末に気忙しくなることの一つであろう、年賀状を始めとした日本人の文化的アイデンティティが少しづつ失われ、画一的世界へ向けてもっと手軽に手間なく場所を選ばないツールにとって変わろうとしていくのか。かくいう私も特にしなくても生活に差しさわりのないブログ記事をあれこれ考えて、年末に年賀状すら書かないでいる。その年賀状だけで振り返れば、明治の少し前はお世話になった人への挨拶まわりが通例で遠くの人へ書状を送っていた。それが明治の郵便制度に伴い書状から年賀ハガキへと変遷した。現代はそれがメールやSNSに取って変わろうとしているだけなのかも知れない。日本文化の変化だけでなく、その本質までも失われようとしていることに危惧などしていないが、時代とともに頭を柔らかくせねば…と思うことが多くなった令和元年の末期。
さて、市役所から毎年送付される特定健診を利用して、およそ9年ぶりに1泊2日の人間ドックを市外の病院で受けることにした。近隣の温泉旅館に宿泊できるというプランにまんまと釣られた。
10畳ほどの部屋に2台のテーブルと窓際に掘り炬燵の長いテーブル。とてもひとりでは持て余しそうな大きな部屋。窓からの景色は他の温泉旅館が、遠目に見える紅葉した山々と寒さを感じさせない常緑の木々に囲まれている。
平日昼間のためか最上階の露天風呂は貸切状態だ。売店で地元の焼酎を部屋付けし、氷とグラスを持ってきてもらい、窓際の掘り炬燵に足をほうり込んで、大したあてもないままグビグビかっ喰らう。そして、ぼんやりと窓を染める日本的な景色を眺め、過ぎ去りし良き日本文化の追憶に浸る。なんという贅沢なゆとりだろうか。カラリとグラスを傾けタブレットを弄る。
そして、良いことも悪いこともすべてを受け入れて、干支の始まりとなる子年に新たな出発ができますよう願ってみた。酒があればこそモヤモヤと勝手なことを考えたりできるが、ふと、今ひとりでいることの寂しさに気づく。
気忙しい年末、酔いお年をお迎えくださいませ。
年末年始のお酒を選ぶのが楽しみでしかたがない。byおっとまえ