投稿日: 2019年8月25日

おバカ中坊狂争曲

 “ちょれぇ”とか“のくてぇ”は福井弁で“ムカつく”とかいう意味らしいが、“ムカつく”という気持ちを込めて“ちょれぇ”とか“のくてぇ”とか言っていたわけでは無いような気がする。そこにはもうチョット愛が含まれているようで…「うんちやげぇ〜」とでかい声で叫んだ“ちょれぇ奴”に何度「ちょれぇなおめえ」とか「のくてぇなおめえ」と言ったことだろうか。でも決してキライではなかった。「おめえアホやけど、なんか憎めんなあ」って感じで、ひとり浮いていた彼を可哀想で仲間に入れてやっていた。  

 しかしだ、ところがだ、いつもいつも暇をみては僕の大阪なまりを小馬鹿にするように「あかんかあ〜あかんのんかあ〜」「ほんまかあ〜」とヘラヘラとしつこく絡み続けた。そしてある日の掃除時間、あまりにしつこく足まで絡ませてくるので、ついにブチキレた。奴の胸ぐらを掴んで仰向けにひっくり返し上に乗っかり、後はボコボコに…と思ったところで、ふと大阪で習っていた空手の先生が「空手は人を殴る為のもんちゃうで」と言っていたことを思い出しとどま…りつつも、ならばビンタで! と振りかぶったら、腕っぷしが強く“どこにも群れないクール男子1号のみ”が一部始終を見ていて僕に言った「やめれ、最初から勝ってる」そして“ちょれぇ奴”にも言った「足を引っ掛けたら危ねえ、最初に手え出したんはおめえやぞ」

 一旦その場は収まったが“ちょれぇ奴”は顔を真っ赤にして悔しそうな表情だった。そしてあとで“どこにも群れないクール男子1号のみ”に聞かれた「足腰強ええな、なんかしてるんか?」どうやら何度も何度も足を絡ませてられてもふらつきもしなかったらしく、それが驚きだったそうだ。

 大阪にいた頃は山の手に住んでいたので小学校への行きは長い下り坂、帰りは長い上り坂を歩き、休みの日は山へ行ったり外で遊ぶことが多かったので足腰は鍛えられただろうけれど、説明が面倒くさかったのか「あー、すこし空手やってたからかなあ〜」と言ってしまった。それからあとが後が大変だった。

「あいつ、強ええぞ、やめとけ、手えだすな」

 こんな噂が広がってしまい、“心にささくれのある奴ら”のチカラの相関図が変わろうとしていたらしい。いつの時代も群れる奴らは群れない奴に対して過剰に警戒し排除したがるのだろう。しかしイジメにあっていた子や、漫画が大好きなことをよく小馬鹿にされていた子たちにとって、僕と仲良くなるということは、平穏な学校生活を送るための大切な抑止力になったようだった。しかも喧嘩になりそうなところを止めに入った“どこにも群れないクール男子1号のみ”とも大の仲良しになったので、“心にささくれのある奴ら”はまるで小雀のようにいつも「ちっ」「チッ」と舌打ちしていた。

 しかしひょんなことから“心にささくれのある奴ら”と交流を持つことになった。それは行きつけの書店近くにあるゲームセンターに“ブロック崩し”などのテーブル型の業務用ゲームが設置されたこよによってアーケードゲームが主流になり、更に「スペースインベーダー」が設置され一大ブームになったからだ。コロコロコミックで「ゲームセンターあらし」が連載されたこともあって、インベーダーは社会現象となり、この後、各地でゲームセンターが続々開業し、喫茶店にも設置されるようになっていった。“心にささくれのある奴ら”の溜まり場でもあったが、構いはしなかった。ゲームがしたかった!

 「ちっ」「チッ」と舌打ちされながらも、“心にささくれのある奴ら”も小学生なのだ。そのうち仲良くなり、色々なことを教えてもらった。ガスコンロの「カチッ」とする点火スイッチ部分だけを外して、それをゲームセンターに持ち込みお金の投入口あたりに「カチッ、カチッ」と火花をとばすと、回路の誤作動が起きるのか、ゲームをできる回数がみるみる増えていくのだ。ICライターでもできるがコンロの点火スイッチは強力だった。エ○本の自販機の取り出し口から手を突っ込むと運が良ければ1冊取れるぞ。とか。〈いけません〉

 ブロックくずし、スペースインベーダー、ギャラクシアン、平安京エイリアン、クレイジー・クライマー、パックマンなどなどのゲームやマンガ、アニメ、プラモデルなどのサブカルチャーとも云われる新しいメディア文化にすっかり魂を持って行かれ、しかも、“心にささくれのある奴ら”とも仲良くなったし、これで中学ライフも円満だと思い込んでいた。

そして中学になると自称番長が3人いた。

 その内二人は同級生で一人は先輩、それぞれに取り巻きがいて派閥争いが絶えず、それぞれにパシリのネットワークがあり、それそれにイジメの対象は違っていた。

 当時、東の千葉、西の愛知と言われるくらい中学生による校内暴力は社会問題となっていた。この先「スクールウォーズ」というドラマが注目されるが、それを地でいくほどの校内暴力が広まっていた。しかし僕の通学していた中学は、生徒が教師に暴力を振るっているわけではなく、生徒同士の争いに過ぎなかった。  しかし、いつ反抗してくるかわからない生徒たちに教師側も対策をとるべくカラテの有段者を体育の教師として数人赴任させた。そして、言う事を聴かず、著しい校則違反者たちを体育館で跪かせ、順々に蹴っ飛ばしていくっていう所業に打って出た。

 その頃からだ、極○カラテを習う生徒が増え「カラテにはカラテで!」というスローガンまでできた。そしてついに、暴力的な体育教師に対抗すべく肉体改造に中学ライフを注ぎ込んだカラテバカの白羽の矢が当たってしまった。

「なあーなあー、おめえカラテやっててんろ?この木折れっか?」

 差し出されたのは一辺が3センチほどの弱そうな材木で「え?こんな折れやすそうな木を?」と思ったが、何度やっても折れないんだと言うのだ。「わかったよ、やってみるから、その前にもう一度やってみて」。カラテバカ1号は机と机の間に木材を置き、シャドーチョップを繰り返しながら「やっ!」と手刀を振り下ろし「ペチン!」  「あー」「やっぱりなあ」「難しいんだよな」とギャラリーから落胆の声が漏れる。

なんとこれが折れないのか!?

びっくりした。大阪にいた頃は友達とよくそのへんの木材をチョップで折っていたこともあって、その頃よりも細い木を折れない男たちがいるのだ。

「わかったよ、やるよ」

練習などせず、木を置いて直ぐに折ると、「すげー」「すっっげえー」拍手喝采だった。

 その一部始終を自称番長たちの取り巻き連中が見ていて、自分たちの仲間に引き入れようと、あの手この手で勧誘してきた。でも群れるのは嫌だったので、のらりくらりと逃げていたのだが、そんなこんなで仲良くなった連中もいた。特にカラテバカ1号、2号とはいつも一緒にいた。カラテバカ2号は喧嘩っ早すぎて、どこに行っても止めるのが精一杯だった。

 数十メートル離れた他校の生徒が睨んだとかいい、猛ダッシュして飛び蹴りを食らわし「いきなりなんじゃ!」と言われても「お前らガン飛ばしてオレの脳みそ突き破っといて何言うとんじゃ」ボカボカ「おどれらが先に手え出したんじゃ!」ボカボカ。そしていつも「○○中じゃあ!いつでも来いやあ!」と雄叫びをあげる。「総合格闘技 PRIDE」のオープニングで高田延彦氏が「かかってこいやあ!」と叫んでいたが、それを観るといつも彼を思い出した。

 そんなカラテバカに3号も加わった夏休みの夜、学校のプールで電動クルーザーのプラモデルを動かす遊びが密かに流行った。最初は動いているクルーザーをBB弾で狙い撃ちしていたが、それでは飽き足らず、クルーザーに導火線を長くした爆竹をセットして火をつけ、プールの中央付近で爆破させると、これが面白い!どうしたら船首を上に向かせて沈ませるかにこだわり、爆竹のセット位置をいろいろ工夫して、そしてプール中央でクルーザーが船首を上にしてブクブク沈むと、拍手喝さいだった。でも夏休み後の校内アナウンスで「プールに船が沈んでいたのは誰がやった!」と先生が声を荒げていたのを聞いて爆笑した。  そして翌年「戦艦大和でやろうぜ!」「いいねえ〜」 カラテバカ1号の持っていた戦艦大和の模型に電池でスクリューが動くように改造し、最初に砲台、2回目に艦橋、そして後方スクリュー近くが続けて爆破するようにセットして、夏休みの終わりがけ、いざプールへ侵入し、戦艦大和をゆっくり着水させ静かに動かす。「パン!」中央遥か手前で砲台が爆破、「パパン!」艦橋が吹っ飛び、そして中央付近で「パン!パパン!」多めにセットした後方部分が爆破すると船首が上を向きブクブクと沈んでいった。あまりにキレイな光景に4人で敬礼した笑。そして夏休み後「プールに大和が沈没してたんは誰がやった!」爆笑した。「来年は潜水艦でしようぜ!」「いいねえー」

 そしてこのカラテバカ2号は中学2年にもかかわらず大の酒好きだった。1980年代初期、彼曰く「いまコークハイ流行っとるんや」「バーボンをコーラで割るとうめえんや」銘柄は全く記憶にないが、近くのタバコ店でコーラを入手し、コソッとバーボンを持ってきては「一杯やろうぜ!」とよく言っていた笑。  そしていつの日だったか、僕はグデンぐでんに酔っ払ってしまい、「ウオー!」と言って自宅を飛び出したらしい。カラテバカ1号2号に後から聞いた話しだ。

 自宅を飛び出して真っ先に近くの月極駐車場の看板に向かって指を指して何か文句を言っていたらしい。最初は爆笑していた1号2号だったが、そのうち看板を殴り始めたらしいので、これはあかんと思い、止めようと飛び出してきたのだが、鬼のような形相に止めることが出来なかったらしい。そこへたまたま近くの大学生空手部十数人がランニングしながらこっち方向に向かってきたらしく、「○☒%&@¥じゃあ!」と罵声を浴びせ突っ込んでいったらしい。空手部連中は唐突な出来事に対応出来ず、バラバラに全力疾走で逃げたらしい。1号2号は可笑しくて悶絶していたという。そしてフラフラ自宅に戻り寝てしまったらしいのだが、翌日、木刀が傷だらけになっていたのを1号2号に聞くと

「し、しらんぞ」

 そしてこの一件がカラテバカ1号2号により脚色され「大学生空手部連中に因縁をつけられた1号2号を助けるべく、僕が勇猛果敢に挑み華麗な空手技を繰り出し、大学生を数人倒したら、あとの連中はビビって逃げた。」と広まってしまったのだ。最初に聞いたことと、広まったうわさと「本当のところどうなん?」と聞いても

「し、しらんぞ」

 ハッキリしていたのは少しベコった看板と、カラテバカの脚色がきっかけで“心にささくれのある奴ら”から相談役にされてしまったことだった。3年の夏休みに転校したことはきっとよかったんだ笑

潜水艦はプールの水が抜かれていて叶わなかったとさ by おっとこまえ

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