ふたつの左義長 new!
毎年小正月の15日には神社や寺院で左義長が行われる。
昨年3月に白山市の実家に引っ越して初の左義長。旧松任市の西南部地域にある五地区のひとつ加賀野地区は、他の四地区と比べるととても歴史が浅く、自宅から徒歩圏内の西部に延喜式内社で木曽義仲公とゆかりがある笠間神社があり、同じく徒歩圏内の東部には式内論社三社のうちのひとつ、楢本神社がある。
昔々倶利伽羅峠の戦いに勝利した木曽義仲が、敗走する平家軍を追っていることろ、手取川の洪水で進軍を阻まれた際、戦勝と洪水沈静を祈願し、兜を奉納したと伝えられている笠間神社。この木曽義仲の松任からの追撃の路はいつしか木曽街道と呼ばれるようになった。 そして、創立年不詳だけど昔々からある楢本神社。柏野じょんがら祭りで知られる下柏野町は旧北陸道(北國街道とも呼ばれる)の柏野宿のことで歴史深いところだ。
加賀野地区はそのちょうど中央付近にあって、当時は田畑が広がっていたのかもしれない。 開駅初日は列車が着くごとに花火を打ち上げていたと云われる加賀笠間駅が完成した大正12年(1923年)頃からさらに約50年経過した昭和48年(1973年)ころから造成が始まったと言われている。シーアイタウン笠間と呼ばれ、私が中学生の時、昭和56年(1981年)に引っ越してきたときは、まだ道路整備もされていない場所が多く、空地も多かった。加賀笠間駅の東口ができていなかったころで、尚且つ何もなかった場所だったためか、古い建物や寺院、神社も存在しない。よって伝統的な左義長も存在しないわけだ。
しかも笠間神社と楢本神社でも左義長を行っておらず、地域コミュニティ単位のリベラルな左義長を公園や田畑で行っている。しかも1月15日が平日の場合、その前後の土日8時半から10時頃まで、各町資源ごみステーションにある「左義長ボックス」に持っていくか、直接持っていくかをセレクトできる。足腰の弱いご老体にはありがたいシステムなのか。直接持っていく人にはメッタ汁がふるまわれ、子供たちにはジュースなどの飲み物も用意されている。そして集められたしめ縄や正月飾りの生もの、金属をきっちりと選別し、確実に燃えるものだけを短時間で焚き上げる地区イベントだ。
さてもう一方
引っ越し前に住んでいた小坂神社で行われる左義長は、土日平日問わず1月15日の朝7時頃には火をつけ始め、日暮れの18時頃までにやんわり鎮火する、どちらかというと保守的な左義長だろう。氏子総代からひとりだけ火の番をしているので、お手洗いや昼食、急用があったときなど不都合な時もあり、また宮司は氏子地区から手放された古い神棚や古いお札お守りなどをお祓いしたり、太鼓を打っていたり、お札やお守りの授与係の巫女や参拝者とのフリートークで大忙しなのだ。よって、白山市へ引っ越したといっても氏子総代は継続しているので、遠いから無理してこなくてもいいよ。といわれても、好きだから毎年火の番に参加している。
令和8年1月15日は木曜日とはいえ朝から絶え間なく氏子皆さんがやってくる。焚き上げるものは、金属、ガラス、陶器などの不燃物や生もの以外は基本的に可能だが、入念なチェックをしているわけではない。各人持参したビニール袋や紙袋ごと火中に放り込んでもらう。しめ縄、正月飾り、鏡餅のパッケージ、張り子の人形、熊手などのお正月関連だけでなく、古いはがきやアルバム、手紙やチラシ、木くず、亡くなったペットの服やぬいぐるみ、お年玉のポチ袋などなど、捨てるには忍びないけど、焚き上げなら手放しやすいかもというようなものでもなんでもOK。
なにせ一日中、火をつけていなければいけないので、燃やせるものが欲しいんです。
ちなみに私は、旧年からDIYなどで使用した木材の余りや、庭から掘り起こしたケヤキや杉の木を乾燥させたもの、3年前に亡くなった愛犬ももたろうの生前来ていた服や遊び道具、亡くなった親類縁者の古いアルバムたちなど、自家用車にいっぱい詰め込んで、神社の薪小屋にストックしておいた。
平日朝からご老体たちがハアハア言いながら参道の石階段を上がってくる。参拝者が言っていたが104段程あるらしい(確認はしていない)階段はきついからと、すれ違い不可の細い車道の坂道をゆっくりと上がってくる人もいる。しばらくすると近隣の幼稚園児たちもやってきた。園の人が「これは入り口にあった正月飾りですね。今から火に入れるので、みんな、一年間よろしくお願いします。って言ってくださいね」というと子供たちは「一年間おねがいします!!」と元気よく叫んでいた。念仏を唱えるようにずっと「お願いします、お願いします、お願いします…」と手を合わせている子もいた。そして「ばいばーい!」と元気よく帰っていく姿を眺めていると、ああ、今日も火の番ができてよかったなあとしみじみ思った。
お昼は宮司のお母ちゃん特製のカレーライスと「去年らっきょう好きやって言ってたやろ?」と言ってひとパック分くらいのらっきょうも付けてくれた。ああ、今日も火の番ができてよかったなあとしみじみ思った。
その後もひっきりなしに氏子衆や知り合いたちがやってきては、燃え盛る炎を眺めながら何気ない会話を交わしてお互いの無事を確認し、お互いに家族の無事を祈る。ああ、今日も火の番ができてよかったなあとひとしおに思うのだ。
ああ、来年も来るぞ
先述の現代的でリベラルな地区イベント的な左義長も、後述の往古から継承された保守的でほぼ制限の無い左義長も、互いに長所もあれば短所もあるのかもしれないが、火の番をした私的には、古くてゆるい左義長が末永く残ってくれることを願うよ。
※最後に神棚をお焚き上げ 音声付
最後に火を鎮める時にもう一人の火の番のおいちゃんに言ってみた。
「変に勘違いしないでほしいんだけど、炎を眺めてるのが好きなんですよ。」
おいちゃんが言った
「おれもや」
ああ、だからずっと火の番をやってきたんだ笑
おれがちゃんと跡を継ぐからな byおっとこまえ

※陶器、金属、だいだい、干し柿、餅は燃やせませーん。おにぎりも入ってたよ笑