六斗広見街道まつり
本来のタイトルは
「信長公まつり!」
のハズだった…
日にちを間違えええーた
何を勘違いしたやら「信長公まつり」と「六斗広見街道まつり」は同時開催かと思ってた…(去年もそうだったような)
ところが六斗広見街道まつりがあるおかげで泉野菅原神社と玉泉寺がオープンになっていた!
ので!
折角だから記事にしてみた
金沢市野町3丁目に鎮座する泉野菅原神社
主祭神は菅原道真公と織田信長公
由緒:本神社は建武元年越中国守畠山卜三、同国新庄に社殿を造営して菅原道真の神像を祀りたり。慶長10年前田利長富山に在城し給い玉泉夫人と共に菅神を崇敬し給いしにより、利長高岡へ入城の後慶長16年社殿を同地に移さる。利長死後玉泉夫人金沢へ移ると共に泉野に社殿を造営し高岡より遷座せらる。
石川県神社庁公式サイトより引用
拝殿に入ると左側に菅原道真公らしき肖像画と右側に織田信長公らしき肖像画が掛けられている。
菅原道真公の晩年の肖像画だろうか…後ろに梅が描かれていない…というか経年で薄れているのか、梅の存在がはっきりしないがたぶん菅原道真公であろう
その肖像画にはこのような漢詩がかかれてある
昨為北闕被悲士
今作西都雪恥尸
生恨死歡其我奈
今須望足護皇基
玉海謹書
菅原道真が太政大臣を追贈されたのちのお告げと思われる菅家後集(平安中期の漢詩集)の一部
玉海謹書とあるが誰のことかは不明だ。漢詩の意味も不明だ!!
さて続いて
泉野菅原神社に向かって左側にある
光顕山玉泉寺(時宗)
ご本尊は阿弥陀如来
金沢二十五天神めぐりの第一番札所でもある
二代利長夫人であり織田信長の五女・玉泉院が、三代利常に請うて玉泉院を創建しました。玉泉院没後、玉泉寺と改め玉泉院の位牌所となりました。内の奥には、玉泉院の供養塔と言われる五輪塔が残されており、往時の面影が偲ばれます。
金沢市観光協会公式サイトより引用
玉泉寺は近隣にありながら初めて本堂内を拝見することができた。
泉野菅原神社と玉泉寺ともに同じ境内にあるが、それぞれに金沢市の保存樹に指定されている樹木もある
金沢市保存樹指定第70号 ゴヨウマツ (泉野菅原神社)
金沢市保存樹指定第163号 ケヤキ(玉泉寺)
金沢市保存樹指定第164号 イチョウ(玉泉寺)
泉野菅原神社と玉泉寺はとても歴史深いところなので、またゆっくりと記事にしてみたく思う
余談だがおっとこ前の住処からこの保存樹三本が見れるのだ!フフフ
簡単だが今回はここまで。
写真は泉野菅原神社の 屋根より高いゴヨウマツ♪
さてさて 本題の
「六斗広見街道まつり」
泉野菅原神社と玉泉寺の目前にあり、本来は火除け場所や兵を配置する場所などとして江戸時代から利用されてきた旧鶴来街道筋にある広場「六斗の広見」と呼ばれる広場で平成17年より、安全で快適に歩ける まちづくりを推進するとともに、地域の魅力をアピールする事を目的に開催される祭りです。
今年(2015年)は9月27日に開催されました
午前10時から午後2時まで
六斗の広見は通行止めになり
町内の人たちの手によって近隣住民だけでなく観光客まで楽しめる
手作りまつりだ!
どこのお祭りでも定番の焼きそばやたこ焼き、フランクフルトが売り出され
カレー、パン屋、園芸店まで出店していた。
もちろん
子供たちにも楽しめる ゴム鉄砲や千本くじなどの昔ながらの遊戯が再現されていました。
まあ写真のゴム鉄砲の子はひとりで独占していたが(笑)
江戸時代の人々が行き交っていた街道筋で現代の子供がはしゃいでいる姿はとても意味深いことだと、しみじみ思う。
遊び場から歴史を感じ、学び、元気な納税者になってもらいたい フフフ
さて、この六斗の広見がある旧鶴来街道は
日本風景街道
「金沢城下 野町・弥生誘い街道」
として登録されています。
日本風景街道は全国で136ルート登録され、石川県は3街道が登録されています。
「金沢城下 野町・弥生誘い街道」
「奥能登絶景海道」
「白山眺望街道」
これから秋の紅葉シーズンですので
お散歩がてらにめぐってみるのも良いかもしれませんね!
by 今日はなんだか爽やかなおっとこ前