きんせきの交わり
金沢市金石西1丁目犀川沿いから少し小道を入ると小さな社叢が見える。
天磐櫲樟船社
「日本書紀」ではイザナギとイザナミの子、蛭児が三歳になっても脚が立たなかったため、天磐櫲樟船(楠で作った堅固な船)に乗せて流したという、船名が社名になっている神社が町中でひっそりとなにかを見守っている。
往古より大野湊神社の麓に広がるまち、宮腰と呼ばれた現在の金石のなかにあって、当時宮腰冬瓜町と呼ばれた場所にその社は存在する。
冬瓜は「神守」に通じると言われ、金沢市の民俗文化財に指定されている大野湊神社の夏季大祭」では三基のお神輿のうち一基が冬瓜町のお神輿となっているが、その休憩所が天磐櫲樟船社。
その天磐櫲樟船社に背をむけ真南を見据えると、代々漁師たちの作業小屋、休憩宿泊所としてその役割を担ってきた「番屋」がある。
写真右の足場が組まれている所が母屋で、休憩や宿泊等で使用され、写真左が漁網や浮き玉などの資材置き場や船の修理などで使用される。/p>
天磐櫲樟船社の祭神は未確認だが、推測するに蛭子神<ヒルコと呼ぶかエビスと呼ぶか>であろう。
往古から神々と密接な関係があり、見守られてきた「番屋」が一般の人が生活できる「民家」に生まれ変わろうとしている。
今回で36回目の「おくりいえプロジェクト」
今回は「贈る」
「番屋」から「民家」へ繋ぐため、「つなぎ隊」によってお掃除が行われました。
ご近所の住民方が雑巾がけをするための井戸水を提供してくださり、綺麗になった母屋に見学に来られ、感慨深げに子供のころを懐かしんでいました。
さて、「おくりいえプロジェクト」では簡単なルールがある。
1、そうじをする。
2、無理はせずに。
3、お気に入りを見つける。
4、持ち帰ったものは大切に使ってください。
掃除が好きで参加する人、再利用品を探す目的で参加する人など、様々な人が国籍問わず各地から参加してくる。
そこには条件など無く…目的を達成するまでの道のりは各々自由。参加者名簿などなく、来るも帰るも時間は自由。
そして…
余談かもしれないが…
旧宮腰町が現在の金石町に改変(合併)されたのは慶応2年(1866)のことで、宮腰町と大野村の和熟を期待したものであったらしい。詳細や現在は…などなど論じないが、
「交情ノ堅ヲ金石ノ交ト曰」
金石という地名の由来らしいが「金石の交わり」という。
堅固で永久に変わらない交わり、破れることのない厚い友情。
「町屋」だけでなく今回の「番屋」のような、古く人々に愛されてきた建物たちの多くを「みおくってきた」、「おくりいえプロジェクト」の「つなぎ隊」
一期一会なのかもしれないが、「金石の交わり」でもあってほしいと勝手に願う。
さて…
矢印の木々が天磐櫲樟船社の社叢で、すぐ手前に番屋がある。
撮影した金石港からまっすぐ真北にある。
さらに北の金石から大野にかけて砂丘が広がっていたが、1980年頃には、すでに砂丘の浸食が進み、のちに埋め立て事業が始まる。そして現在では「金石海原」という新町ができ、地域交流の拠点として機能が図られる予定であるという。
by おっとこ前!