四十九年一睡の夢
かの名将織田信長公と上杉謙信公の年齢をこえようとしている。
信長公は「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」
謙信公は「四十九年一睡の夢、一期の栄華一盃の酒」
精神的には人生のはかなさを喩えた詩と理解しているが(あくまで私感)、自然や人の築き残してきた魂は伝統という名で継承されていることを羽咋市にある気多神社への参詣で実感した。
人事問題で宮司が二名存在することはなんとなく知っていたが、2010年の最高裁判決を機に単立神社となっていたことなど知る由もなく。
石川県初の単立神社…神社庁と袂を分かち独立した宗教団体
他の単立神社には日光東照宮、靖国神社、伏見稲荷大社などがあるが気になる方はググってほしい。
個人的に寺院や神社を訪ねる興味の根源は、古人の建築物やその意匠、社叢や鎮守の森などであって、祀られているモノやカミサマ…ましてや管理側の問題などさほど重要視はしていない。
そんな願いを叶えてくれる気多神社には神門や本殿など五棟の国指定重要文化財があり、本殿裏にある約三万平方米という広大な国指定天然記念物の「いらずの森」がいまも一般人の侵入を拒んでいる。
それが見たい!深呼吸したい!
神門を抜けると巫女さんが順路の説明をしてくれた。
拝殿の左側にある「幸せむすび所」なる場所を経由し拝殿へ向い授与所を辿って摂社へ向かう(笑)
このような半強制的な神社は初めてだったが、偶然結婚式が行われていたこともあって、そのままズカズカ拝殿へ。
高床の神楽殿を思わせるような江戸初期の拝殿は漆もなく手の込んだ意匠もなく、江戸時代には祭事だけでなく地元衆が様々なイベントに利用していたのであろうと思いを馳せてみる。
そしてその裏手には平地の原生林が広がる…立ち入り禁止の処から…
深呼吸~
気多神社は創建二千年などと云われているが、その間の人様問題などチッポケなものかもしれない…しかし、その人様の手が加わって永きに存続してきたこともまた事実だ。先人たちが人の世の儚さを「詩」に残しただけでなく、先人たちが触れてきたであろう建築物や自然が今も尚残っている。
人の世は儚いが、魂は強い!
そう思えてならない休日だった
寺院や神社は精神的に充電できる
それは今月に入ってパソコンの電源が急逝し、クルマのバッテリーまでもが急逝したことによる精神的な放電による大きな穴を埋める事になったことは言うまでもないが…
一瞬で過ぎ去る人世の歳月に幾度放電と充電を繰り返せばよいのやら…また神社で酒でも呑もう!by おっとこ前