大事なもの
物質も人格も二面性があって“ひとつ”になるものであって、相反するものが"ひとつ"になるという意味ではないという。
つまり目に映るものが“表”ではないということだろうか。
人は前を見たら後ろは見えないし、右を見たら左は見えない。人は本来、一度にすべてのものが見通せないようにできているのだな。
すべてのものを見たいなら、行動でもって見るしかないのか。
このブログ記事も、情報として偽りの無いように細心の注意を払っているが、自分の意思や考えなどはあまり真っ直ぐに記したりはしない。
遠回しに記してみたり、裏腹なことを記してみたり、時には大袈裟に、冗談も交えながら…
当然そのような言葉の、見えないところに「本質」を潜ませている。
個人的に親しい極少数の人達が読むと、即座に見抜かれてしまうのかも知れないが、それでも真っ直ぐに悟られないようにボカシをかけている。
読み手側が記事をそのまま鵜呑みにし誤解してしまっても構わないし、それについての説明もしない。10人の読み手がいたら10人の解釈があって当然だと思っている。
後ろ姿の画像の、真正面を想像するか妄想するか仮想するかは人それぞれだ。しかし本当のことを知りたいと心底思い興味を持ってくださる人は「顔がみたい!」と 真っ直ぐに聞いてくる。
つまり、自分の杓子定規で考えられても、それは単なる妄想に過ぎないし、あれこれ決めつけられても、気分が悪いだけだ。
興味のない人に自分勝手な妄想を言い放ち関係が拗れるよりも、興味あるからこそ「聞く」という行動で相手にぶつかっていくほうが、そのずっと先にある大事なものを得れるのではなか ろうか。などと思ってみる。
先日、その両方を互いの立場で体験できたから…まあ、記してみた。
ただ、語彙力の無さがゆえに想定外の誤解を招くことの方が多いが。笑
そんな悶々とするときはアイアンを避けてウッドで軽く飛ばすか!
こういうことをしているから“おつむ”のお堅い人たちから叱られるんだな。
ははは、六本入るで!by おっとこまえ