投稿日:2018年2月14日

続・武神と軍神

先日東京へ出向く機会があり、3年ぶりに靖国神社への参拝が叶った。

この「靖国」は明治天皇が「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いを込めて命名されたらしい。神社名に願いが込められている神社が他にどれだけあるだろうか。お寺には多いようだが…

靖国神社

国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の神霊が、身分や性別、国籍を問わず、靖国の大神としてお祀りされている。というようなことが靖国神社では言われているが、さて「お国」を守るためだけの理由で戦い散った人がどれだけいるのだろうか。

ぐだぐだ考えながらも…日本人だけでなく多くの他国籍者も「参拝の作法」に則って丁寧に参拝している姿をみると少々襟元が正される思いがした。

そしてまた、靖国神社には「能楽堂」がある。

武家社会の終焉を意味した明治維新は、能演の機会がなくなってしまった能楽の衰退を加速させた。現在靖国神社にある能楽堂は、能楽の復興拠点となる当時の能楽社を、加賀前田家十三代前田斉泰公を発起人の一人として東京芝山内紅葉谷に建築された、通称「芝能楽堂」の遺構である。

靖国神社の能楽堂

「能楽」の字は加賀前田家十三代斉泰公 謹書。金沢と能楽はとても深いつながりがあることを思い知らされる。そして今年も桜の咲く頃に靖国神社で「奉納夜桜能」が4/3(火)~4/5(木)に開催される。武士の慰みと嗜みだった能楽は、現在も日本のためにその身を捧げた多くの神霊たちの慰みとなるのだろうか。

さてさて

前回は武神「武甕槌神たけみかづちのかみ」と「経津主神ふつぬしのかみ」が祀られた鹽竈しおがま神社を訪れた。

そしてこれから、米沢の軍神を訪ねようと思う。

仙台から東北自動車道「福島飯坂IC」より一般国道13号で米沢へ向かう。国道13号からは昭和を感じさせるような風景を眺めながらのんびり走行して約1時間くらいで米沢市街へ。

午前11時頃には気温30度越える真夏日となった。ここへ来て米沢盆地の恩恵を受けるとは思いもしなかったが、ひとまず溜まりにたまった衣類を洗濯すべくコインランドリーに立ち寄る。

そのちょうど目の前に米沢城址と上杉神社が鎮座する松が岬公園がある。洗濯終了に1時間半ほどかかるのでその間に訪れるとしよう。

余談だが、その約五ヶ月後の2017年11月4日(土)には、東北自動車道「福島JCT」から「米沢北IC」まで開通している。この道路は国と地方自治体の負担による新たな直轄事業で建設されているので完成後は無料で開放されるらしい。

上杉神社境内 舞鶴橋

武神と云われた「武甕槌神」と「経津主神」が実在したかどうかは論じないが、軍神と云われた「上杉謙信公」は実在の武将の一人だ。前記事で織田信長公に少々触れたがどちらも加賀前田家と深い関係のある武将である。

上杉神社境内

上杉神社には「上杉謙信公」が祀られているが、謙信公は越後で生まれ越後で亡くなっている。上杉景勝公が関ヶ原合戦以降、出羽国置賜郡(現山形県)・陸奥国伊達郡と信夫郡(現福島県)、3郡の国主として会津から米沢城に減移封されたとき、謙信公の祠堂も米沢に遷した。そして明治期に米沢城本丸跡地に謙信公の祠堂を改め、上杉神社が創建された。

上杉神社拝殿

その謙信公が主祭神として祀られていることに少々違和感がある。肝心の景勝公は明治後期に上杉神社摂社として創建された「松岬神社」(下)に祀られている。

松岬神社

個人的に幕末から明治期にかけて流行した「藩」を用いるのは好きではないが、米沢では謙信公が「藩祖」になっている。しかも景勝公は米沢上杉家の二代になっている。

上杉城史苑

上杉神社が鎮座する松が岬公園(米沢城址)の駐車場付近には、上杉城史苑という道の駅みたいな、地元の特産品を扱ったショップがある。そしてその周りには米沢牛をつかった串焼やコロッケ、「うこぎ」という青菜をつかったソフトクリームなどが販売され、観光客で賑わっている。

上杉城史苑を後にして、コインランドリーで衣服を引き取り宿泊先へ。夕食先への迎えを待つ間少し仮眠することに。

去る2014年10月、呉服産地問屋 東北出羽屋の石山氏に無理を言い、白鷹織 伝統工芸師 佐藤新一氏の工房を訪ねてから約3年ぶりの山形。

今回米沢を訪れたのは、その石山氏が某SNSで「呑喰処 一心太助」さんを紹介していたことがキッカケだ。店主が生きのいいお魚を手にとった写真を幾度も見て、是非とも機会があれば行ってみたいと願っていた矢先の東北巡りだったもんだから、宮城は網地島行くと決まった瞬間、石山氏に連絡をとった。

あ〜

一心太助行ける…

やっと、行ける…。

海には面していない内陸にあって米沢のお魚がどうのこうのより、お魚を手にした店主の笑顔だけに惹きつけられただけなんだけどね。

宿泊先まで仕事を終えたばかりの石山氏と桐生氏が迎えに来てくれた。再開のお話もそこそこに頭の中は一心太助で目一杯。メニュー片手に魚介類ばかりをオーダー。桐生氏も初めてらしく、わたしの魚介類ばかりのオーダーに少々不満げ。なんでも米沢ではあまり美味しい魚介類を食べたことがないらしく、肉類を所望していたというが…、最初に出てきた刺身の盛り合わせの美味しさに二人して驚いた。なんでも毎朝福島まで新鮮なお魚を仕入れに行っているという。日本海側じゃあないんだと思いながらも、地元金沢でもお口にかかれないくらいのお美味しさだった。桐生氏の「魚って美味しいんですね」と聞いてなんだかこっちまで嬉しくなった。

米沢の呑喰処、一心太助のお造り

山形のだし

そして3年ほど前に佐藤氏の工房で歓待を受けた際にも頂いた山形の「だし」が冷奴の上に添えられてきた。

おいしい。

そのまま食べても良いし、ご飯のお供にしても良い。 石山氏と桐生氏の会話にのせられ、気分よくぐだぐだ熱く語ったあげく気持ちよく酔がまわり、気分よくタクシーに乗せられ、宿泊先まで付き添ってくれた桐生氏に気持ちよくタクシー代千円を手渡し笑、フロントに気持ちよく「ただいま!」といって夢の中へ。

目が覚めると、気持ちいいくらいにここがどこか解らなかったが、日中の暑さと比べ、早朝の少しの寒さが気持ちよかった。

さて、武神なのか軍神なのか、自らを神格化させた武将の眠る日光に向かうとしよう。


東北出羽屋の石山さん桐生さん、またお世話になりました。どうも有り難う。 by おっとこまえ


上杉神社 御朱印

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