嵐雲
「山は人の手を加えなければならない」
自然に任せきりでは、陽も風も当たらなくなり、強い根を張らなくなってしまう。そして地滑りや土砂崩れの原因になる。そこで生きるなら自然に手を加えなければならない。
里山深く農業を生業に自然と向き合いながら生き抜いてきた齢八十半ばの目と背中には、すべてを受け入れる慈愛と余裕さえ感じた。
それは、2009年8月9日の台風9号で兵庫県佐用町と岡山県美作市を中心に発生した土砂災害により甚大な被害を受けた伯父の強い教訓であろうか。
約10年ぶりにお墓参りもかねて帰省した母の実家。慣れ親しんだその縁側で珈琲を片手にお話を聞かせてくれた。
勝手な解釈だが
教え育てる側にも多くの責任があるのだと聞こえた。
自然に真摯に向き合い正しく丁寧に手を加えることで、生き物すべてに恵みを与え且つ災害の少ない山に育つ。
人とおなじだ。
土砂災害後の平成24年5月27日に建立された「木魂鎮魂之碑」
さて
サムハラ神社後
文武天皇慶雲4年(707)からずっと此の地に座する中山神社とその境内にある猿神社を訪ねた。
延喜式神名帳記載の名神大社というだけでなく、中山造りと云われる、大社造りの流れを汲んだかのような旧美作国独特の社殿の造りにも興味がある。
推定樹齢800年の祝木の欅と同じく500年の椋
拝殿前にある、数えきれないほどの植物の宿り木となった立ち枯れた栴檀
中山神社 奥の本殿は国の重要文化財
主祭神:鏡作神
相殿神:天糠戸神、石凝姥神
中山鳥居の横の椋の木
周囲5.3m・樹高23m
市指定天然記念物「祝木の欅」
中山神に国譲りをした先住神と云われる祠
立ち枯れて以来一切手を施していないという「栴檀の木」
そこには
正しく人の手が加わった疑う余地のない自然がある
自然も人も
心に芽生えた不安の種がやがて大きくなり嵐雲となって押し寄せてくると、もはや自分の力ではどうにもならない。
あたかも理性を失う寸前に外部がもたらす情報によって脳が完全に駆逐され別人格になってしまうように。
それは大荒れの時が過ぎ去るのを待ってから、腰を据えて整理整頓するしかないのだろうか。
心に宿る雑草を刈り、間伐し、常日頃から自分で手入れをしていれば嵐雲がやってきても対処できるかもしれない。
まずは不要な情報の廃棄と新たな情報の取捨選択から。
なにごとも
過ぎたるは猶及ばざるがごとし
及ばざる
ざる
今昔物語集
美作国神依猟師謀止生贄語 第七
これに登場する猿を祀ったと云われる猿神社
そういえば
先日は野生の日本猿を餌付けしたモンキーパークで猿を眺めた。
今日は猿ぼぼ
昨年の今頃も猿を眺めていた。
東北旅の記事も未完のまま一年が過ぎさる。
追々日光辺りから回想しようかな。と思わざるを得ない。
船越山るり寺モンキーパーク
野生の日本猿が餌付けされている
父の亡き姉のお墓を探していると
ん?神社かな?
そんな雰囲気…というか、視線がそこへしか向かないくらいの雰囲気。
少し歩くと小さな鳥居に百度石。ここでは祭神も由緒もわからない。集落のための神社。その周りを囲む石の玉垣に。曾祖父の名が刻まれていた
つい
呼んでくれてありがとう。
…そう
大昔からずっとそこにあるものが好き
私もずっと同じ場所に居続けたいけど、歩みも続けたい
でも
心に中でなら
生々世々
留めておくことができるかな
大切なものは災害で失わないよう by おっとこまえ