投稿日:2019年7月14日

10円と神さま 3話

 小学校からの帰り道は、ポッケに10円玉数枚と好奇心があれば精一杯楽しめるテーマパークみたいなもの。しかしそこにはお化け屋敷があるように、帰り道は楽しいばかりではなかった。

 ポン菓子広場までは舗装された道だったが、そこからの帰りは現世界と異世界の境界であるかのように両脇に石灯籠の置かれた狭い土道になる。むかしは国境へ抜ける旧街道だったらしく、左側の山の斜面は鬱蒼とした木々に囲まれ、右側は更に急な斜面の谷川がある。夕暮れ時になるとなんとも不気味だった。
 すこし進むと左側の急な斜面に石階段が現れ、見上げると木々の割れ目から逆光で真っ暗になった鳥居が青空に浮かび上がるように見える。それはまるであの世へ通じる階段。そして威嚇しているかのようなカラスの鳴き声と「かなかなかなかな」と夕暮れ時のヒグラシが「かえらなあかんがな」と言っているようで、「あまり遅く帰ったら神隠しにあうよ」と言う母の言葉を思い出した。

 赤ちゃんの黄昏泣きのように、子供は逢魔時 おうまがとき とも云われる昼と夜が移り変わる時間帯に敏感なのだろうか。

 たくさん寄り道したこと、知らない人と話したこと、いつもより10円多く使ったこと…楽しかったはずの事すべてに罪悪感を覚え、あげくに「痴漢に注意」の看板に身の危険まで感じてしまい、ちょこちょこ後ろを振り返ったりする。この200メートルあるかないかの神社エリアの先にある住宅街までひときわ遠く感じた。

 しかし友達と帰るときは、皆で石階段を駆け上がり、狛犬にまたがったり、かくれんぼで賽銭箱が動いてビビったり覗いたり、缶けり、陣地取り、牛乳キャップめくり、相撲キチガイと相撲などしてよく遊んだ。

友達と一緒にいるときはなんとなく安心だった。

 当時流行っていた小学校の七不思議のひとつに、古い木造の講堂(体育館)の舞台裏で、何処からとも無く鈴の音が聞こえるという話があった。それを確認するべく舞台裏を右から左へ行って戻ってくることが、ちょっとした肝試しになっていたが、子供のころに感じていた「神社」は、そんな霊的なカルト的な怖さではなかった。やましい事は見抜かれ、嘘は見破られ、心の中に「ほんまにそんでええんかあ?」となげかけ、「お天道さんは見てるでえ」と念を押してくるような存在であった。

 「もう絶交やで!」と前の日にすんごい仲良しの友人とすんごい大喧嘩しても、翌日には「もうやめよっか」「ごめんな」といって仲直りできたのもこの神社だった。

 ポン菓子広場に隣接したブロック壁にスレート屋根の公衆トイレの下で、年下の友人と壊れそうな屋根付近のブロックを傘で突付いて悪ふざけしていたら、老朽化していたブロックの一部が崩れ落ちて友人の頭を直撃した。その友人のお姉ちゃんは僕の同級生で、姉弟ぐるみでとても仲良かったのだが、弟の頭にブロックの一部が直撃してしばらくして僕に「キライや!!」と叫んだ。幸い開いていた傘が緩衝材になったのと頭にかすった程度だったので、軽い切り傷に少しの出血で済んだのだが、怪我をさせてしまったことと、女の子にキライと言われたことが初めてだったことが胸に強く響いた。なぜかわからないけど、しばらく帰り道で神社の石階段を見上げながら「治りますように」と願った。バチが当たると思い込んで上まで行くことが怖かった。

そう、「神社」は素直になれる場所でもあった。

 しかし、そんな神社エリアを一歩でも越えると、次のお楽しみエリアが頭を過ぎって仕方ない。あれほど「たくさん寄り道したこと」「知らない人と話したこと」「いつもより10円多く使ったこと」に罪悪感を覚えたはずなのに、すぐ忘れる。「鶏は三歩歩けば忘れる」と云うが「子供は一歩歩けばすぐ忘れる」のほうが良いのではないかといつも思う。

 そしてこの先に待つ楽しいお店に着く頃には神社に寄った事さえ忘れている。現在で言うコンビニのような、パンなどの食品や日用品を取り揃えたお店があり、その前にはピンボールとピカデリーサーカスというルーレットゲームが設置されていた。
 これは10円を入れて賭けた数字に止まると数字の枚数分メダルが戻され、後はメダルが無くなるまでメダルで遊べるというカジノの賭けゲームを子供用にしたようなものだが、これには大いにハマってしまった。2の数字が点灯していたらその対角線にある数字が2の場合、その場所から左右に2マス指で進める。右から2つ目が4で左から2つ目が6の場合、4と6の内どれかが次に当たるというシンプルな都市伝説的裏技だ。もちろん勝率100%ではないが、外れてもなかなか惜しいところへ止まる場合が多いので、まわりは皆このやり方で遊んでいた。
 メダルが出るときは「ガッコン」と大きな音がするので当たった感が半端ない。30枚✕2口をベットして60枚当たろうものならば、「ガッコン、ガッコン、ガッコン、ガッコン…」がズーッと続くのでガッコンが増えるたびにその音を聞いて周りがジワジワと反応してくる。20枚分くらいのガッコンが続くと周りはミーアキャットのように視線を飛ばし、30枚超えたことを察すると、誰かが「30こえたで〜」と大声で叫びジワジワとギャラリーが周りを取囲み「うそやん」「スゲー」「ええや〜ん」「60やーん!」と羨望の眼差しと絶叫のツバを一身に浴る、そして物欲しそうな視線と優越感に浸っているのを見計らったかのようにお店のおばちゃんが「メダル持って帰ったらあかんでえ、足りひんくなるからなあ」と釘を指してくる。「えーー!」というと「10円で当たったんやろ」といってデカすぎるアメ玉をくれるのだ。それ以来メダル10枚を10円で友達に売りつけることがやんわり流行った。

 約1.6キロの帰り道をまっすぐ帰っても25分くらいだろうか、その間にある楽しいことの狭間に、神社という畏怖すべき場所が介在することで、楽しすぎてゆるくなった脳みそをピリッと引き締める効果があるのだろうか。善人であろうと悪人であろうと何びとの進入も拒まない神社に祀られているという神さまが、訪れる人々の吉凶を操作しているわけではないことは確かだろう。もちろん子供の頃はこんなふうには考えなかったが。
 きっと、いつも表側にいる自分が、いつも隠れている裏側の自分と会って素直に会話できる場所だったんだな。

 さて、当時名前すら知らなかったこの神社は、延喜式神名帳に記載された鎮座地不変の古社らしく、西暦927年にはこの場所に存在していて、小学生時は江戸中期に建設された社殿で遊んでいたようだ。
 小学校の登下校でほぼ毎日前を通過し、よく境内で遊び、初めてひとりで手を合わせたのもこの神社だった。しかし一度もお賽銭箱にお金を入れたことは無く、お守りや御朱印など存在の有無すらわからない。でも、今でも記憶に残っている神社だ。

4話につづく by おっとこまえ

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