投稿日:2019年8月4日

10円と神さま 最終話

 ザラメをまぶしてあるデカすぎるアメ玉を口の中でフゴフゴしながら自宅へ向かうと右手にため池が見えてくる。道路側は金網で仕切られ「危ない」とか「危険」とか看板があったような気がするが、脇から中へ侵入できるようになっていて、ウシガエルのあやしい鳴き声に怖いもの見たさで引き寄せられたものだった。ため池の道路側は所々法面になっていて整備されていたが、後ろは山の急な斜面とため池の間が数十センチほどしかなく結構危険だった、思い返すとよく事故に会わなかったなあ、よく生きていたなあと怖くなる。

 でもそこでは、アメンボやタガメ、メダカ、ゲンゴロウ、カマキリ、トンボ、バッタ、オケラなどの様々な生き物に出会うことができ、さらに裏山へ入ると、カブトムシやクワガタムシ、カミキリムシ、タマムシ、ハンミョウなど多くの昆虫を採集できるスポットになっていた。これはたまらなかった。

 その裏山は工事車両がよく出入りする整地された山林が広がっていた。現在は大学になってもう数十年経っているので、きっとこの頃から工事は始まっていたのだろう。工事区域を更に奥へと進むとクワガタムシやカブトムシがよく取れるクヌギの木がたくさんある原生林があり、この辺りに来ると興味のないスズメバチやマムシまで現れた。そして更に奥に進むと山の尾根に到達するが、ここは大きな樹木はなく、ハゲ山に低木や雑草が自生しているだけで視界が良すぎて怖かった。谷間を見下ろすとダムのようなコンクリの固まりが小さく見えたような記憶がある。因みに現在はジワジワと住宅地が山林を駆逐してきて、子供の頃に尾根から見た山々の景観は失われようとしている。

 休みの日などは、クヌギの原生林がある奥へとクワガタをよく取りに行っていた。当時「ゲンジ取り」と言っていたような記憶もある。根拠もなく感覚で目星をつけたクヌギの根元の、日の当たらない湿気った場所にある落ち葉をめくるとよくクワガタがいたものだった。

 そしてクヌギの木を力いっぱい横蹴りすると、その振動で樹液に群がるクワガタやカブトがポトポト落ちてきた。当時ブルース・リーが大人気で、空手を習っていたこともあり、横蹴りはとてもよい練習になったようだ。「アチャー!」と叫んではよく木を蹴っていた。コクワ、ヒラタ、オオクワ、ミヤマ、特にノコギリが人気でその中でも赤びかりしているものは「スイカ」と呼んでいた。そしてこの数年後にはクワガタが大ブームとなり「黒いダイヤ」と云われたオオクワガタなどは数十万円から数百万円で取引されるようになった。

 さて、学校帰りの時は虫かごなど持っていないので、野球バッチのたくさん付いたキャップの内側にクワガタを這わせ、そのまま頭にかぶって持ち帰り自宅の大きな虫かごに移していた。キャップには返しの部分があるのでクワガタが逃げにくくなっていて、だれが考えたのやらナイスシステムだったが、さすがにカブトムシは無理だった。学校へ行くときもコッソリと力の強そうな自慢のクワガタをキャップに忍ばせて、休み時間や放課後に友達の持ち込んだクワガタと戦わせた。当時アントニオ猪木やジャイアント馬場の全盛期で、アントニオ猪木対モハメド・アリの異種格闘技が行われた時代でもあり、クワガタが、プロレス技の「ブレーンバスター」を仕掛けると大いに盛り上がった。そして授業中に誰かのクワガタが脱走して、よく女子が「きゃー!!」と悲鳴を上げていた。先生が「どうしたー!!」というか言わないかの間にすかさず「あー!どっかから飛んできたみたいや!」「ほってくるわ〜」といって廊下に持ち出し、すぐキャップに隠して戻ってくる。たぶん先生は知っていたんだろうなと今では思う。ポッケにおもちゃやお菓子を忍ばせ異様に膨らんでいても勉強さえキチンとしていればあまり強く問いただされることはなかった。

 キャップにクワガタを這わせ、町内唯一の食品スーパーや薬局、床屋、クリーニング店などが集合した小さな商店街に立ち寄る。ここには先述したピンボールやピカデリーサーカス、ガチャガチャなどがたくさんあり。いつも子供たちで賑わっていた。

今日も楽しかった帰り道

「ただいまー」

 1975年(昭和50年)頃は、長いお付き合いとなるマイクロソフトが設立され、日本初の家庭用テレビゲーム機である「テレビテニス」をエポック社が発売。その2年後には「ファミコン」の前身でもある任天堂初のテレビゲーム「カラーテレビゲーム15」が発売された。こうして子供たちの遊び場所が全身で遊べる屋外から、目と手しか使わないディスプレイの前へと変貌を遂げていくことになる。しかしその当時はそんなことなど知る由もない、後に「新人類」と呼ばれることになるおバカ男子たちは、たくさんの友達と遊び、笑い、喧嘩し、悪さやいたずら、たぶん軽犯罪まで、汗と鼻水を垂らしながら野山や町を駆けまわり、自然、生き物と出会い、向き合い、小さな「冒険」をコツコツ積み重ねながら、頭と体に知らず知らずのうちに十分すぎるほどの「体力」を授かった。50歳を過ぎてもその「体力貯金」が底をつくことはなく、おかげさまで大人の「冒険」に役立てられたはずだ。そしてついでに、便利で合理化された社会の恩恵を有難く受け取っている。と思う。

 それでも、どのような時代であっても、目まぐるしく進歩しているのか後退しているのかわからない社会にあって「神さま」は身近に存在し続けている。のかも知れない。

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