投稿日:2019年8月12日

おんな三重狂騒曲

「あっぱ?」

「あっぱか?」

 新しいクラスメイトたちから放たれた謎の問いかけは、父の転勤に伴い大阪から福井へ引っ越してきた小学5年の転校初日のことだった。とまどいつつも隣席のおとなしい女子に「あっぱってなんなん?」って小声で聞いてみると、黙ったままうつむいて赤面した。うーん、恥ずかしいことなのか? すると後ろに座っている“ちょれぇ奴”(ちょームカつく奴)がヘラヘラしながらでっかい声で

「うんちやげぇ〜(うんちじゃあ〜)」

 な、なんだと! つまりそれは、自己紹介後の休み時間にトイレから戻ってきたときにかけられた言葉が「うんち?」「うんちか?」ということか!? 福井ではトイレから戻るとそんな事聞かれるのか? しかも最初の「あっぱ?」の声は天然パーマ女子だったぞ。っていうか僕は初対面のおとなしい女子に「うんちってなんなん?」って聞いたのか? ああ、トイレの場所がわからなかったのでつい時間を食ってしまったが実はうんちではないのだよ。でもうんち確定。
 いや、それだけではない、転校して慣れるまでのひと月程は「しね」を連発された。しかもほとんど女子から。

「早よしね」
「今しね」
「さっさとしね」

 怖いところだ、トイレに行くたび「うんち」かどうかを聞かれ、少しでも手間取るとすぐ「しね」と言われる。
左斜め後ろに座るかわいい女子に「しねって、死ねってことなん?」と聞くと「“してね”ってこと、死なないでね♡」と言われドキッとした笑

「早くしてね」
「今してね」
「さっさとしてね」

方言のギャップとよくわかんない使命感に戸惑いながらも、とにかく福井弁に慣れようと自分から声をかけまくった甲斐あってか、漫画キチガイ、ゲームキチガイ、プラモデルキチガイ、カラテバカ、心にささくれのある奴ら、頭がお花畑になっている女子、などなど福井に居た3年半の間に、あいも変わらずいろんな世界の仲間と交流を持つことができた。

その中でもチョイと面倒だったのが、“頭がお花畑になっている女子”だった。最初に「あっぱ?」って聞いてきた天然パーマ女子と「あっぱってなんなん?」と聞いてしまったおとなしい女子、そしていつも口をポカーンとしている女子3人組だ。

「ねえねえ!大阪で好きな子いたん?」
「ねえねえ!今好きな子いるん?」
「ねえねえ!女子に興味あるん?」

授業中の回し読み、休み時間に包囲され、放課後に呼び出し、下校時は待ち伏せ…「ねえねえ!」としつこかったが、「女子に興味あるん?」と聞かれてもどういう意味かイマイチよく理解できていなかった。

そして席替えのとき「今回も好きなとこに自由に決めて」と担任。大阪のときはくじ引きで決めていたので「自由に」と言われてもただ困惑したが、皆は慣れているようだった。最初に一部の女子達が、ダーっと目的の場所を確保し、後方でウロウロしているお目当ての男子に目で合図すると、目のあった男子はしぶしぶその女子の横に移動する。それ以外は近いところ順々に移動していった。「なんじゃそりゃ」と思いつつ、そのやり方を始終見ていたら一番最後になってしまい、あわてて空白の場所へと向かうと、前の席の男子が「うまくやったな!へへへ」そして周りもニヤニヤしていた。僕の隣は以前左斜め後ろに座っていたかわいい女子だった。どうやら男子衆の憧れの的だったらしく、勉強もスポーツもできる、女子の中でも中心的な存在だった。

 そして数日後の休み時間に、頭がお花畑になっている女子1号2号3号にガリ勉女子1号が加わり、僕の目の前で腕を組んで少々睨み顔「ねえねえ!」「はやく答え出しね!」「長いこと待たせて!」となにやらプンスカ。「あ〜もうっ!じれったい!」「あの子、あんたのこと好きねんよ!」

「えー」

逃げた。でも休み時間だからすぐ戻った。

 当時は全く意味がわからなかった。男女問わず仲の良い友達は皆好きだ。だからいちいち「好きだ」とは伝えない。なのにそれを言わなかったからということで責められた感じがしたのだ。
 結局そのかわいい女子とはまともに話せなくなり、声をかけられたら答えるだけだったけど、今思えばただ恥ずかしかっただけで、やんわりと女子を意識し始めたキッカケだったのかもしれない。

 頭がお花畑になっている女子1号2号3号は、ただただ友人としてかわいい女子を応援したかっただけなんだろうけど、とかく不器用だった。だからガリ勉女子1号が助っ人に加わったらしいが、当時の僕はまだ思春期ではなかったようだ。しかし逆に強烈なキャラクターに惹かれて3人とはずっと仲が良かった。「なにかあったん?」「どうしたん?」「たいしたことないよ」「くよくよせんの」「大丈夫や」などと、いつも応援して励ましてくれる酒場の女将みたいだった笑。いまでも彼女たちの写真が残っているが、懐かしさとともによく思い出すのは、この告白の一件ではなく「あっぱ?」だった。

話は変わって

中学校へは徒歩2分という近さで、しかも通り沿いだったので友人は皆僕の自宅だけでなく通りに面した部屋まで知っていた。体調不良で学校を休んでもおちおち窓から外を眺めていられなかった。「あいつ休んだのに窓から覗いとった。ズル休みや!」とか笑。次号で出てくるカラテバカや漫画キチガイ、プラモデルキチガイなどのたまり場みたいになっていたので「あいつん家、たまり場になって悪さしとる」などと先生に告口されたり。常に誰かに見られているような気がしていた。そんなとき、テニス部だった妹の先輩から「お兄さんに渡して」と言われて渡されたという手紙には「お引越しされるようですね、もしよろしければ文通してくださいませんか?」と丁寧な文字が並んでいた。初対面どころか存在すら知り得ていないので「な、なんで?」と妹に訊いてみると「なんか2階の屋根に上ってるん見てんて」

どうやら訳あって自宅2階の屋根に上っているのを見たら文通したくなったらしい笑

 それなら…まあ、と思い、“品の良さそうな文通したい女子”と文通する羽目になった。そして“品の良さそう”というだけで勝手にベルばらのマリー・アントワネットをイメージしていた笑
 引越してからも文通を重ね、文字の綺麗さと品の良さを都度感じさせ、いつしかイメージしていたマリー・アントワネットの周りにバラが咲き乱れ、徐々に遠巻きになってベルサイユ宮殿が背景に現れ馬車が迎えに来るという、誇大妄想がマックスになるころには、もはや“女子”というよりは“お金持ちの優雅な婦人”だった。そんなある日「一度映画に連れて行ってくださいませんか?」と誘われた。

悩んだ。
“お金持ちの優雅な婦人”と何を観たらいいのだ。

悩んで
悩んで

悩み抜いて選んだのは「キャプテンハーロック・我が青春のアルカディア」

何故か?

僕が見たかったからだ笑

 待ち合わせ場所までワクワクして歩いた。ハーロックに会えることが楽しみで仕方なかった。“お金持ちの優雅な婦人”がどんな人かよりもハーロックだった。そして待ち合わせ場所で会った女子は…“お金持ちの優雅な婦人”ではなくて「エースをねらえ」の“お蝶夫人”だった。さすがテニス部。色黒で短めのスカートが眩しかった。うう。

 ハーロックの男の友情とやらに目頭が熱くなった中3の夏。緊張の夏。そして文通の終焉を迎える。

「貴方という素敵な人から卒業して、新しい自分に向かって歩んで行きます」「最後に大好きな“さだまさし”さんの歌を贈ります」タイトルは忘れたが1番のみ記されていた。

さだまさしって誰だ…この時初めて知った。

 今ならば当時の“お蝶夫人”の心中は少なからず理解できるが、当時の僕はまだちょっと“恋愛”とか“憧れ”のような女子への意識は希薄だったようだ。“お蝶夫人”の一件とほぼ同時進行でこんなこともあった。

 中学3年の時、1話に登場したかわいい女子と小学校以来同じクラスになり、僕が転校するまでずっと真後ろの席だった。僕から声をかけることはなかったが、たまにチョンチョンと背中に指でノックされるたびいろんな話に応えていた。そしてその感覚は未だに忘れていない。石川へ引っ越すことになったとき、使っていたノートを欲しいと言われていたが、すっかり忘れてしまい、引っ越しギリギリになって思い出した。この時はじめて女子の家に電話した。頭がお花畑になっている女子1号2号3号からは「あの子、あんた転校してきてからずっと好きやってんよ」とずーっと念仏のように唱えられてきたので、意を決していろいろお話しようと思った。「ノート渡すの忘れてたから取りに来てほしい」かわいい女子が来るまでの間、何を話そうかソワソワしながら待っていた。

「ピンポーン」
「来た!」
「ガチャ」

すんごいニヤニヤした姉ちゃんも一緒だった笑

「はい、これノート」
「あ、ありがとう」

 そして頭がお花畑になっている女子1号2号3号に、ぼろのみそっカスに叱られたあと、笑顔で「元気でね!」と言われて、福井での3年半は終わった。

 そして夏休み明けの2学期から石川の中学へ。転校の挨拶も手慣れたもので、自分の座席が女子に囲まれていることに一抹の不安を覚えるほど余裕があった。

そして着席するとすぐ“勝手に決めつけたガール1号2号3号” に
「実はあんた向こうで不良やったやろ」
「実はイケイケやったやろ」
「実は女何人もおったやろ」

また3人組かい

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