投稿日:2015年7月18日

永姫に見守られた珠姫

今年で七回目を迎えます天徳院(金沢市)での居合演武奉納

今年は日曜日!

珠姫さまの亡くなられた日(元和8年7月3日)が今の暦で8月9日にあたることから毎年この日の"珠姫さま供養法会"を中心に"珠姫まつり"としてその他の催し物を開いています。

とても暑い日かと思いますが、是非ともお運びいただきたく思います!


平成27年8月9日(日) 珠姫の寺 天徳院(金沢市小立野)

平成27年 珠姫まつりプログラム

8月9日(日)
○12:30 奉納「輝け百万石 民謡まつり」
○13:30 法要「珠姫様供養法会」 
○14:20 奉納「居合演武」
○15:00 奉納「落語会」 (立川吉幸氏)
○終日 「折紙体験教室」

8月6日(木) ~8月12日(水)
○終日 「折紙に届いた絵手紙展PⅡ」

8月11日(火)
○17:00 出世地蔵尊大祭 念焼供養法要


おっとこ前は撮影班を担当しますので演武は致しませんが、今回も師北島國紘の居合にまつわるお話はもちろんのこと、門下生の篠笛生演奏をバックにしての居合演武も見所です!

金沢居合の師 北島國紘が天徳院で居合を奉納するに至った経緯は過去ページを参照願いたい。


さて今回は"珠姫さま"と縁深い"永姫えいひめさま"の袖にも触れてみたい。

おっとこ前の住処から程近くの同じ境内に"玉泉寺"と"泉野菅原神社"がある。2000年の火災以来途絶えていた「信長公まつり」が2012年に復活した。

"信長公祭""秋季祭(宵宮)""秋季祭(例大祭)"などに加え"舞"や"包丁式"なども行われました。


居合の奉納もできればいいのに…


さてこの"泉野菅原神社"に"織田信長公"が何故祀られているのか?

"永姫さま"は"信長公"の四女として生まれ、天正9年12月(1581)七歳のときに前田家二代利長公(当時二十歳)に嫁ぎますが、其の半年後、天正10年6月2日(1582)に"本能寺の変"により父"信長公"が横死します。


利長公の正室となった翌年に"信長公"に京都見物に招待され安土から向かっていた途中での凶報だったので、嫁いで間もない幼い"永姫さま"にとって父の死はあまりに悲劇だったと思います。


その後も"利長公"との間に嗣子の縁が無く、"利長公"唯一、側室との実子"満姫(蓮成院)"も幼くして亡くなっている。


また慶長4年(1599)には"家康公"に謀反の疑いを掛けられる(慶長の危機)が、"芳春院"(利家公正室まつ)を人質に差出し、異母弟の"利常公"に"徳川秀忠公"の次女"珠姫さま"を嫁がせ"利常公"(利家公四男)を養嗣子ようししとし、"利長公"は隠居する。


"三代利常公"と"珠姫さま"の婚姻が決まり、嗣子の問題は回避したとはいえ、"永姫さま"は加持祈祷にすがりつつも子宝に恵まれたかった。


その後、元和3年(1617)"永姫さま"は"利長公"が崇敬していた越中新川郡新庄村に創建された"浄善寺(時宗)"を、"利常公"に頼んで金沢六斗林(現在の野町)に移転させ(現在の玉泉寺)その横に天満天神堂(泉野菅原神社)を建立し、"利長公"の供養と父"信長公"をひそかに祀っていたと謂われる。

玉泉寺-永姫位牌所(金沢市野町)

玉泉寺左奥に"永姫さま供養の五輪塔"がある。右横に"泉野菅原神社"がある。


野町に玉泉寺が移転されるまでの間、金沢城は"芳春院"(利家公正室)、"豪姫さま"(宇喜多秀家公正室)、"千世姫さま"(元細川忠隆公正室)そして"珠姫さまと玉泉院"とセレブな女性たちが歌舞音曲の者を配し、とても賑やかであったと伝えられる。

きっと!狂言も行われていたに違いない!



さて…

"珠姫さま"は慶長4年6月11日(1599年8月1日)生まれ、元和8年7月3日(1622年8月9日)に亡くなっている(享年24歳)。慶長18年(1613年)15歳で長女を出産してから元和8年(1622年)五女を出産する間に三男五女を儲けている。


"珠姫さま"は"秀忠公"と"お江"の次女なので、"信長公"が父の"永姫さま"にとって"お江"は"従姉妹いとこ"にあたります。


"永姫さま"からみると"珠姫さま"は"いとこ違い(従姪)"であり、その親族の"珠姫さま"が養嗣子の"利常公"のお嫁さんになるわけですから、"もう我が子ですね。


前田家と織田家の血縁は望めないわけではないし、子宝に恵まれなかった"永姫さま"にとって"珠姫さま"はまるで"信長公"から宝物を授かったような思いがしたと勝手に思ってます。


よって"秀忠公"の正室"お江"が"珠姫さま"に悪意のあるような侍女(乳母?)をお供につけるわけが無いわい!っと勝手に思ってます。

永姫と珠姫の関係図

そして"珠姫さま"二十四歳で亡くなった約七ヵ月後に"永姫さま"も享年五十歳で亡くなっています。

三歳で輿入れした"珠姫さま"を十四歳で嫁ぐ日まで二十七歳の"永姫さま"が最後まで大切にしっかりと見守りつづけてきたことと願ってやまない。

元和9年(1623)"利常公"により"珠姫さま"の菩提を弔うために創建された天徳院の参道には、元禄6年(1693年)に建立された二重の山門(石川県指定文化財)がある。明和5年(1768年)の火災でも消失することなく現在も残っている。


早く重要文化財になることを願う…


戦国末期から江戸初期へと往古の歩みに思いを馳せて、歴史ある山門を見越し、今に伝える無双直伝英信流金沢居合を眼に留めていただければと思います。

珠姫の寺 天徳院

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