投稿日:2014年8月15日

「珠姫まつり」居合演武奉納

金沢市小立野にある「金龍山 天徳院」(曹洞宗)で8月9日~11日の3日間

「珠姫まつり」が催されました。


初日8月9日の「珠姫さま供養法会」の終了後、「居合演武奉納」が行われ師北島國紘をはじめ四人の弟子で参加!(オレ含む!)


当日は台風11号の接近に伴い、雨風の強い中多くの参拝客に目を留めていただきました。

ありがとうございます♪


さて、この「天徳院」で居合演武奉納をするに至っては、さまざまなご縁があり、その語らずにはいられない記録を簡単にまとめておきたいと思う。

県指定文化財「天徳院」山門

「天徳院」は加賀国主 前田家三代「前田利常」室「珠姫」の菩提寺であり、「珠姫」は徳川家二代 「秀忠」と継室「崇源婦人(江)」の次女で、姉に「豊臣秀頼」室 「千姫」や、弟に徳川家三代「家光」などがいる。  詳細はググってくださいませ


「珠姫まつり」は加賀百万石の危機を救い平和と繁栄のため尽くされた珠姫様の遺徳を偲んで開かれるものです。

珠姫様のなくなられた日(元和8年7月3日)が、今の暦で8月9日にあたることから、毎年8月9日を中心に法要・講演・奉納などが催されます。

「居合演武」のほか、からくり人形「天徳院物語」や「落語」なども行われます。


さて、金沢居合と珠姫さまとの最初の接点はバブルの入り口とも言われる1985年頃に遡ります。


◎珠姫にささげる居合 来月に無双直伝英信流の北島さん 金沢市・木の花幼稚園の「位牌」前で 旧園舎で稽古が縁

北島さんは、一九八五年ごろから六年程度、同園講堂で居合の稽古に励み、師匠の谷口忠氏から「珠姫さまにまつわる物がある」という北側に一礼するよう教えられた。  思い出の場所である同園を昨年末、久しぶりに訪れた北島さんの証言をもとに、鮎川正園長らが園内を探したところ、仏壇の中に位牌があることが確認された。先々代の園長は「珠姫の位牌を一九〇五(明治三十八)年の開園時に珠姫の菩提寺である天徳院側から贈られたと聞いた」と話しているという。  位牌は高さ二十五センチで、珠姫の戒名「天德院殿乾運淳貞大禅定尼」と記されている。箱の扉には徳川、前田両家の家紋があり、裏には天徳院の二十六代住職押野太壽の名が記されている。  鮎川園長は「押野老師が、同園の設立にかかわった県仏教婦人会の講師を務めていた縁で贈ったのではないか」と話している。珠姫の位牌がある天徳院は「位牌を分けたり、贈ったりしたということは聞いた事がない」としている。

北國新聞朝刊掲載日:2009年02月08日(日)発行:31頁文字数:674 より抜粋引用


※「北島さん」は現、無双直伝英信流金沢居合伝者である師北島國紘です。

※「二十六代住職押野太壽」は「南嶺太寿」のことであり、明治25年(1892)1月に永平寺六十四世貫首 森田悟由(大休悟由)より天徳院を譲られる。大正8年(1919)9月20日示寂

※「木の花幼稚園」は1905(明治38)年に長家屋敷(現在の幼稚園向い駐車場)にて私立木の花幼稚園として創立。初代園長は前田家家老長家に嫁いだ長寛子氏。「木の花」は前田家の梅鉢紋に由来する。

木の花幼稚園で見つかった珠姫さまご位牌

さて続いて、「天徳院」で初めて演武奉納した際の北国新聞記事を抜粋してみる。


◎珠姫にささげる居合 命日8月9日 北島さんが奉納 金沢市の天徳院 位牌確認が縁

土佐伝統の居合の流派である無双直伝英信流の北島國紘さんが加賀藩3代藩主前田利常の正室、珠姫の命日である8月9日、菩提寺の曹洞宗天徳院=同市小立野4丁目=で初めて演武を奉納する。北島さんが、同市長町3丁目の木の花幼稚園で珠姫の戒名が記された位牌を確認したのが縁で、鍛錬し た技で珠姫の遺徳をしのぶ。 北島さんは、命日に同寺で開かれる「珠姫まつり」に合わせ、本堂で居合を繰り広げる。座り技を中心に、真剣を使った刀さばきも披露する。 北島さんは、かつて稽古場所として通っていた木の花幼稚園で位牌の存在を知り、今年3月に演武をささげた。さらに位牌の由来を調べる中で同寺を訪ね、今回 の奉納を申し出た。

北國新聞朝刊掲載日:2009年06月18日(木)発行:28頁文字数:408 より抜粋引用


さて、今年で六回目となる天徳院での奉納も、虚空蔵様に願をかけると必ず願いがかなうと云う満願虚空蔵の前の二十畳ほどの部屋で演武した。

天徳院 居合演武奉納 垂幕

師北島國紘は木の花幼稚園での居合演武の際、必ず珠姫さまご位牌が安置されるご仏壇の前で刀礼し、広場までの十三段ある階段を「奥居合立業」である「惣留そうどめ」でおりてきます。

今回の「珠姫まつり」居合演武奉納でも「惣留」を披露されました。

奥居合立業【総留】師北島國紘

余談ですが珠姫さまのお輿入れの際、幼い姫が飽きないように狂言師や様々な芸人たちも従っていたといいます。

狂言をちょっぴり嗜んでいる私にとっては、とっても!愉快なエピソード… かな??


最後に、私の勢い余って前のめりになりすぎてしまった

座居合「月影」最後の一刀!ご笑覧あれ

正座部「月影」最後の一刀

あ~もう少し姿勢良く重心が後方なら良かったのだが…。

左手のお母さん指がマイクでも握ってコイといっているようで…

ちょっとおっとこ前!!?

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