居合神社での参拝と居合演武奉納
国道13号 山形北バイパスを北上
“道の駅 むらやま”を過ぎると右手に朱塗りの明神鳥居が見えてくる。
鳥居に誘われるままバイパスを右折するとそこが西参道。其の鳥居の束額には「熊野・居合両神社」と記されている。
そう林崎居合神社は正式には熊野・居合両神社と呼ばれ、林崎居合神社や居合神社はあくまで俗称なのである。
略縁起での創建は807年(大同二年)とされているが確証は無いようだ。ただ往古より石城嶽に続く株倉山の岩穴に熊野大明神が祀られたのが林崎大明神の草創であり、鎌倉期以降林崎村に遷座されたことで居合抜刀の祖と仰がれる林崎甚助重信公の祈願するところとなった。この林崎大明神は明治に入ってから村社 熊野神社になる。これとは別に、江戸期に入ってから重信公の直門や孫弟子によって抜刀術は全国に広まり、全国の武士たちが重信公を崇拝し林崎大明神に参拝、演武奉納するようになった重信公の偉業を知ることとなった村人によって重信公を神として林崎大明神の境内に祀られるようになったのが、居合大明神の草創であり、後に各外社居合神社となった。明治七年に熊野神社に居合神社を合祀し、明治十年明治政府の公認後熊野・居合両神社となったのであり、林崎大明神が居合大明神に変わった訳ではないのである。 御祭神四柱:素盞嗚尊、 伊弉諾尊、 伊佐那美尊、林崎甚助重信公 引用抜粋:「林崎明神と林崎甚助重信公」
現在の境内は昭和六十一年に拡張され、御本殿は新築、拝殿は移築された。
さてその境内には全国から流派を越えて、参詣、演武奉納者が多くの石碑を奉建し、其の中に碑名「無雙直傳英信流」という石碑がある。
日本一社 林崎居合神社に神鎮ります、剣聖林崎甚助重信公を 始祖と仰ぐ真剣道居合術の興隆を祈願し 併せて拝殿の新築を記念して当流有縁の 剣士相集い謹みて此の碑を造建奉納す。大日本居合兵法 無雙直傳英信流 皇紀二千六百二十三年三月吉日 正統第二十代宗家 河野百練
石碑裏には奉納剣士として総勢三十七名の名前が刻まれています。
その最上段には、「石川 野村條吉」の文字が。
金沢居合の祖、大師 野村條吉凱風から先師 谷口忠へ、そして今、師 北島國紘がはじめて、居合神社拝殿前にて演武奉納をします。
師 北島國紘 奥居合立業之部 惣捲 最後の一刀
大師 野村條吉凱風の曾孫弟子にあたります私たちも、演武奉納させていただきました。
前頁でも紹介しました、地元白鷹産天蚕糸の角帯を締めての演武奉納です。
余談…
来年二月金沢能楽堂 狂言を楽しむ会にて柿山伏の山伏を演じるのだが、その山伏の出所は出羽の羽黒山なのだ。
ちょうど私の背中の方角に羽黒山がある。
見えないケド…(笑)
狂言初舞台に出羽の羽黒山の山伏を演じるおっとこ前が地元の希少な角帯を締めて居合演武奉納が出来る。
あ~なんて仕合せなのだろう…
皆々様に感謝!!
演武奉納終了後、宮司様より木札とご朱印を頂戴致しました。
今晩は居合神社に程近いクアハウス碁点で宿泊大宴会とあいなり…
明け方三時くらいまで飲んでいたそうな…
あ~皆様おつかれさまでした
今回、居合神社での正式参拝及び居合演武奉納に際し、ご丁重なご配慮を賜りました奥山宮司様と、山形の地までお供をお許しくださいました、北島先生と門下皆様に厚く御礼申し上げます。有難う御座います。