投稿日:2020年10月9日 -エッセイ-

札束スキットル爺さん

お金をどう扱うのかで個々の人間性が如実に現れるものだと思わされることがあった。

ある神社のお祭りの日、参拝を終えた私の真横で茶封筒をお賽銭箱に差し入れた年配の爺さんがいた。見間違いかもしれないが、その茶封筒に少し膨らみがあるように見えたもんだから、その爺さんが気になり、しばらく目で追ってみた。すると境内に出店している顔見知りの串焼き屋の後ろに座りポケットから永年使い込まれたであろうレトロなスキットル(お酒などを入れる携帯用小型水筒)を取り出し、キャップを開けて、グビッとやった。旨そうな笑みを浮かべている。

酒か?

私は境内で売っていたハイボールを片手に串焼き屋に行って、あれこれ話をしながらも、その爺さんからは目を離さなかった。 かるくお酒を腹に納め、お祭りの雰囲気を愉しみながらスキットルでやっている爺さんに意を決して話しかけてみた。 「こんにちは〜」「ここのお祭りにはよく来られるんですか?」 などと奥歯が見えるほどの笑顔で気さくな中年を気取り定型文で挨拶など交わし、そして本題へ。 「失礼ですが、先程茶封筒をお賽銭箱に納めておられたようですが…あれは…。」 スキットル爺さんは恥ずかしそうに笑みを浮かべ「いやあ、札束をむき出しのまま入れるのはどうも…」


「さ…札束??(心の声)」


そしてハイボールで上機嫌の私と札束スキットル爺さんの話はまだまだつづいた…。


どうやら「玉串料」「初穂料」などと書かれた封筒に自分の名前を書き込んでお金を納めるのが苦手だそうだ。神社や寺院によくある鳥居や石垣、幟旗などに「奉納」とかかれ個人名や会社名が書かれていることが多いが、「これは私がお金を出したのだ!と主張しているようで…。」それが嫌だそうだ。お賽銭箱に入っているお金だったら、名前など書かれずに鳥居などが建つのではないか。自分の名前などどうでも良い。自分がどう考えているのかが大事なのかもね…時折スキットルでグビッとやりながら、そんなようなことを静かに語っていた。


「爺さん、なんだかいかすじゃねえか!(心の声)」


そういえば、数年前同じ神社でご年配のお姉さまが、名前を明記してお金を包み玉串料として納めるよりも、同じ額をお賽銭箱に入れるほうが良い。というような話を又聞きだが聞いたことがあった。

どちらにしても、お金を大切に丁寧に扱っていることがよく伝わったわけだが…
なんというか…

「お金かあ?お金ならあるから、呑め飲め!喰え食え!おごっちゃる〜! グフェフェフェ!!」とスパークしていた過去の自分がこっぱずかしい笑


さて…もうひとつ、どうしても気になっていたのが、そのスキットルに入っていた飲み物は何だったのか。ガツンとウィスキーやウォッカなどをストレートでやっていたのだろうか…年齢的に水割りかそれとも日本酒か…。


「ああ…これ?…青汁」
「…で割った焼酎や。ハハハ。うまいぞー。ハハハ。芋〜。ハハハ。」


お金の出どころをハッキリさせることで、受け取った側が安心して活用できる側面はあるだろう。しかし例えば、きちんと封筒に収めるなどして出し手の思いが込められていれば、受け取る側にきちんと伝わるのかもしれない。受け取り手に信頼を寄せていなければなかなかできないことだろう。

過日、ニュースで大手アパレル企業のトップが某大学に100億円程の個人寄付を行った際の言動に違和感を覚えつつ、ふと、札束スキットル爺さんを思い出した。


しかし幾らほど包んだのだろうか…と、いやらしいことはいつも後になってふと思う。
芋焼酎の青汁割り、美味しいぞ爺さん。
元気かい?

札束スキットル爺さん | 那岐介エッセイ

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